令和6年5月25日土曜日・5月26日日曜日の2日間、令和6年降誕会において「親鸞聖人ご生誕850年」大法要を勤修しました。
親鸞聖人のご生誕なかりせば明らかにされなかった、すべての人が知りたい『人生の目的』を、親鸞聖人のお言葉を通して二千畳で聞かせていただきました。
演題「『五濁の時機いたりては』のご和讃」
ご講演は、次のご和讃を演題で開座されました。
五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずる人をみて
疑謗破滅さかりなり
(親鸞聖人「正像末和讃」)
お釈迦様の教えの結論は、『一向専念 無量寿仏』(阿弥陀仏一仏を信じよ。必ず救われる)であります。
『一向専念 無量寿仏』を徹底すれば、必ず「道俗」(僧侶と俗人。すべての人のこと)から激しい疑謗破滅が起きます。
親鸞聖人のご生涯はまさにその実証でありました。
世間中から非難攻撃された肉食妻帯の断行も、
「煩悩具足のすべての人は、阿弥陀仏によらねば絶対助からぬ」という阿弥陀仏の本願の真意をあきらかにするためでありました。
※肉食妻帯(にくじきさいたい)とは、魚や動物の肉を食べ、結婚すること
仏説まことなりけり
親鸞聖人は、『歎異抄』で次のように仰っています。
「この法をば信ずる衆生もあり、謗る衆生もあるべし」と
仏説きおかせ給いたることなれば、我はすでに信じたてまつる、
また人ありて謗るにて「仏説まことなりけり」と知られ候。
(親鸞聖人『歎異抄』)意訳:「阿弥陀如来の本願を、信ずる人もある、また謗る人もあるだろう」と、お釈迦様は教えておられる。親鸞は本願に救い摂られた。その親鸞を謗る者があってこそ、いよいよ「仏説まこと」と知らされる。
親鸞聖人は、謗る人があってこそ、仏説まことが知らされて、疑謗破滅をかえって喜ばれています。
親鸞聖人が唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず、御苦労なされたからこそ、阿弥陀仏の本願の真意が明らかとなりました。
「親鸞聖人ご生誕850年」をご縁に、親鸞聖人の御苦労を偲び、これからも親鸞聖人の教えを正しく、一人でも多くの方にお伝えしてまいります。