浄土真宗 親鸞会

高森光晴 たかもり みつはる

富山県

親鸞聖人の教えは、「なぜ生きる」の答え、唯一つです。

経歴
昭和47年親鸞聖人降誕会 第28回 弁論大会 優勝
昭和53年浄土真宗親鸞会結成20周年 弁論大会 優勝
昭和53年ブラジル布教(~昭和54年6月)
昭和55年青年部長に就任
平成8年総本部長に就任
平成30年布教局長に就任
平成31年浄土真宗学院 学長に就任
令和4年講師長に就任
メッセージ

政治、経済、科学、医学、文学、芸術、倫理、道徳、法律など、人生観、人間観、万物の意義などの根底には思想があります。
日本の思想史における『歎異抄』の位置は極めて大きく、国宝級の評価は、名文、美文よりも『歎異抄』の放つ深淵な思想についてでありましょう。
その『歎異抄』には、
○人はなぜ生きるか”、「摂取不捨の利益」を獲るためである。
○それは「無碍の一道」と説かれる、欲や怒りの煩悩あるがままの絶対の幸福である。
○この生きる目的のあるすべての人命は、平等かつ尊厳である。
と説示されています。
『歎異抄』を通じ、親鸞聖人の教えに触れ、不安の絶えない人生に、変わらぬ絶対の幸福があること、誰もがその幸せになれることを知っていただきたいと念じてやみません。

人生の目的を探求なされたお釈迦さま

 2600年前、王族の太子として生まれられたお釈迦さまが10代の時、人生は苦悩の世界であることを痛感される出来事がありました。

 東の城門を出ると、腰は曲がり、顔はシワだらけで杖を突き、よろよろと歩む老人を見られた。「あれは何者か」。従者は答えた。「人間はみな年を取り、最後はあのように老いていくのです」。太子は暗澹たる思いで城に戻られた。

 しばらくして南門から出られると、病人の苦しむ姿を見られた。身体は痩せ細り、虚空をつかんでうめき苦しむ姿に「あの者はどうしたのか」。「あれは病人です。人間は病気になると、あのように苦しまねばなりません」。太子はまた大きな衝撃を受けられた。

 また、西門から出られ、葬式の行列に出会われた。木石のようになった骸を運びながら多くの人がすすり泣いている。
「あれはどうしたのか」「死人です。人はやがてあのように死んでいかねばなりません。人間はみな100%死なねばなりません」。太子はこの姿に最も大きな衝撃を受けられた。人間は幸福を求めて生きているのに、老苦、病苦、死苦を避けることはできない。いかなる幸福も、死によって崩壊してしまう。

 最後に北門を出られた太子は法服姿の修行者に会われた。「あの男は何者か」「あれは、修行者です。生老病死の苦悩からの解脱を求めているのです」。かくて太子は自身のあるべき姿を知られた。

 29歳の2月8日、一大決心をなされて人生の目的を探求すべく出城入山されたといわれます。噴火山上の舞踏を楽しむ私たちに対する警鐘に他なりません。

親鸞聖人が伝えられた唯一つのこと

 親鸞聖人はお釈迦さまの発見なされた人生の目的、阿弥陀如来の本願一つを生涯教えていかれました。阿弥陀如来の本願とは「どんな人も聞くだけで必ず絶対の幸福に助ける」と誓われた阿弥陀如来のお約束です。

 親鸞聖人はこの釈尊出世の本懐の中の本懐である弥陀の本願を伝えるために命を懸けられたのです。

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