浄土真宗親鸞会の会長・高森顕徹先生が7月8日夜、阿弥陀仏の浄土に還帰なされた。享年98歳。
親鸞聖人のみ教えのご布教に全生涯を捧げられ、苦しみ悩める群生海の救済に力尽くされた、
真に崇高なご一生であった。
法名は、「釈愚童」。
90歳を超えられても、高森先生はご布教に専進なされた。
昨年(令和7年)は、13回もの座談会を設けて下さり、阿弥陀仏の本願、本願成就文、宿善など、浄土真宗の肝要を懇切にご教導くだされている。
昨年末から体調を崩され、療養を続けられていたが、7月8日、ついに往生のご本懐を遂げられた。葬儀は10日午前、ご家族と近親者、一部の関係者で執り行われた。
「平生業成」を鮮明に
親鸞学徒の本道 貫く
高森先生は、昭和4年、富山県氷見市のお生まれ。
敗戦後の混乱期、龍谷大学在学中に阿弥陀仏の本願に摂取され、以来、猛烈な勉学とご布教を開始なされた。
当時の浄土真宗は、「念仏さえ称えていれば、死んだら極楽」という異安心(親鸞聖人や蓮如上人と異なった信心や教え)の説教が横行し、親鸞聖人の本当の教えは、滅亡寸前の危機にあった。
「真宗の危機は人類の危機」と決起された高森先生は、「弥陀の救いは、死後ではない。生きている現在ただ今、絶対の幸福にハッキリ救われる。信ずる一念に、人生の目的が完成するのだ」と、親鸞聖人の平生業成、唯信独達の法門を鮮明に説かれた。
常に、親鸞聖人のお言葉を示され、私見を交えず、教えの徹底にのみ、全力を尽くされた。中興・蓮如上人のごとく、親鸞学徒の本道を、御身をもって示されたのである。
全世界に六字の法城
ご説法は70か国へ
昭和33年、浄土真宗親鸞会を結成。
わずか24畳の前田会館から出発した本会は、100畳の高岡会館(富山県高岡市)を経て、昭和63年、520畳の現・本館(富山県射水市)に本部を移した。以来、全国に支部が拡大する一方、群参する聞法者を収容し切れず、平成4年に顕真会館が落成、平成17年、ついに二千畳の正本堂が建立されたのである。
平成23年から、全国各地に法城を、との機運が高まり、今も、全世界に南無六字の法城が陸続と誕生しつつある。現在、高森先生のご説法は、世界70か国に配信されている。
偏に、阿弥陀如来の絶大なる威神力と、善知識の火の玉のような大獅子吼(説法)によるものである。
先生は著作の業にも励まれた。
ご発刊から25年、100万部を突破した『なぜ生きる』(1万年堂出版)をはじめ、歎異抄解説の決定版として70万部に迫る『歎異抄をひらく』(同)、明るく生きる指針を示された『光に向かって 100の花束』(同)など、多くの書を著された。
浄土真宗の教えを基礎から真髄まで、体系的に学ぶことができる『親鸞学徒の道しるべ』は、第2巻が、8月2日に発刊された。
また親鸞聖人の映画3部作(映画「なぜ生きる~蓮如上人と吉崎炎上」、映画「歎異抄をひらく」、映画「親鸞 人生の目的」)や、アニメ・シリーズ全6巻「世界の光・親鸞聖人」、「王舎城の悲劇」など、映像作品も多数、制作された。
高森先生はつねに仰せであった。
「喉がつぶれて、声が出せなくなったら、
ペンで、腕が折れるまで書き続けます。
ペンが持てなくなったら、心で念じます。
一身全滅した時、弥陀の浄土に還ります」
「貫かん 燃える命の 尽きるまで」
まことに、真実開顕の偉大なご生涯であった。
