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コラム

除夜の鐘クレームから考える煩悩はなくせるか問題

昨年の今ごろ、騒がれていたのが除夜の鐘クレーム問題です。仏教の視点から、ちょっと考えてみました。

今年もあとわずかになりました。昨年の今ごろ、騒がれていたのが除夜の鐘クレーム問題。仏教の視点から、ちょっと考えてみました。

社会問題と騒ぐほどじゃない?「除夜の鐘クレームで中止」

昨年(2016)12月、「除夜の鐘がクレームで中止」というニュースがありました。
いわゆる「クレーマー問題」や「日本の伝統文化が消えるのか?」という「分かりやすさ」から、ツイッターなどでもけっこう話題にのぼったようです。これについては「騒ぎすぎ」という冷静な意見もあって、ニュース価値はあまり高くないというのが、本当のところなのかもしれません。
ただ、社会問題云々は別として、「除夜の鐘」と「クレーム」の関係に触れてみたいと思います。

「除夜の鐘」と「クレーム」の関係

除夜の鐘を108回つくのは、煩悩の数から、とされます。

煩悩とは、私たちを煩わせ悩ませ苦しめるもの。人間には108の煩悩があると教えられています。除夜の鐘を108回つくのは「今年1年、煩悩で煩わされた。来年こそは煩悩に悩まされず過ごしたい」という願いが込められているともいわれます。

一方、除夜の鐘がうるさい、というクレームは、まさに煩悩の一つである「怒り」です。

煩悩をなくしたいと願って、ついている鐘の音がうるさくて、年越しの間も、怒りの煩悩に燃えてしまう人がいるって……なんだか……。

親鸞聖人は、比叡山で20年、煩悩と格闘されましたが、知らされたことは、煩悩をへらすことも、とどめることも、なくすこともできない、どうにもならない人間の実態でした。

仏教では、人間は100パーセント煩悩の塊で、死ぬまで、欲も、怒りも、ねたみそねみも、とどまらず、消えず、絶えることがないと教えられています。もちろん、除夜の鐘をついたぐらいで、減りもなくなりもしないわけです。(むしろ、燃え盛らせている)

クレーマーさんも想定外?「煩悩はなくせるか」問題

こんな笑話があります。

ある修行者が、「私は一切の煩悩をたちきり、悟りを開いた」といったので「すごいですね~」とほめると、にやりとした。

・・・それが、煩悩なんですけど。

仏教と聞くと、煩悩を断ち切って、さとりをひらく教えだと学校で習った人があるかもしれませんが、実は煩悩を断ち切ることはできないと教えられているのが本当の仏教です。

親鸞聖人といえば、悪人正機(悪人こそが救われる)の教えが有名ですが、親鸞聖人の仰る悪人とは、この「煩悩をへらすことも、なくすことも、たちきることもできない人間」のことであり、「すべての人」の別名です。

そんな煩悩の塊の人間(悪人)が、どうすれば幸せになれるかを教えられたのが、仏教であり、親鸞聖人の教えです。

除夜の鐘クレーム問題が、「煩悩をなくせない人間が、どうすれば幸せになれるのか」という浄土真宗の核心を知る、1つのきっかけになるなら、これはたぶん、クレーマーさんも想定外のできごとではないでしょうか。

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