全国から二千畳に集い浄土真宗の教えを聞く
12月10日(日)は早朝から、親鸞会館(富山県射水市)の駐車場に、全国各地からの車やバスが続々と到着。
行事開始の9時30分には、二千畳の講堂は参詣者でいっぱいとなりました。
この日は、親鸞聖人の教えを全国の参詣者が一堂に会して聞かせていただく月に一度のご縁で、今年最後の講演でした。
平成29年を振り返って、「どんなことがあったかなぁ」と思い出そうとすると、それが今年のことなのか、去年なのか、よく分からなくなるほど、時間の経つのが早いことに驚かされます。
「光陰矢の如し」といわれるように、月日は瞬く間に過ぎ去ってゆきます。
あっという間に過ぎゆく人生、私たちは何のために生きるのか?
その答えを、ズバリ明らかになされた方が親鸞聖人です。
人間に生まれてきたのは絶対の幸福になるため
親鸞聖人は、私たちが人間に生まれてきたのは、大悲の願船に乗せていただき、絶対の幸福になるためだ、と明言されています。
大悲の願船とは?
絶対の幸福とはどんな幸せ?
その船に乗せていただくことが「なぜ生きる」の答えとどうして言えるの?
これらの疑問に、親鸞聖人はどう教えられているのか、詳しく解説された講演に、参詣された皆さんが聞き入っていました。
親鸞聖人の教えを聞くようになったのは~愛知県60代男性
愛知県から来られた60代の男性に、仏教の話を聞くようになったきっかけや、今回の講演の感想を聞いてみました。
キムチ、ヨーグルト、納豆などの身近な食材を、日々、陳列棚に補充する仕事です。
責任者を任されてからは、朝早くに出勤し、休日も返上で働いてきました。
地域の生活を支える大切な仕事と分かっていますが、毎日、同じことのくり返しなんです。そんな日々が、ただどこまでも続いてゆく感じがして、「ああ、自分の人生ってこんなものなのかな」と思っていました。
5年前に妻が50代で他界し、立て続けに母親も亡くしました。
寂しい思いは募るばかりで、そんな昨年末、家の郵便受けに入っていた仏教講座の案内チラシを見て、足を運んでみたのが仏教を学び始めたきっかけでした。
チラシに「『なぜ生きる』の答えがわかる」と書かれてあって、その言葉に引かれて、聞いてみたいなと思ったのを覚えています。
仏教には、それまで関心があったわけではなくて、知人や親戚の葬儀で読経や、僧侶の話を耳にする程度の関わりでした。
講座は、実家の宗旨と同じ浄土真宗のお話でしたが、とても丁寧な説明で、話される一つ一つがみんな、初めて知ることばかりでした。
「葬儀をする本当の意味」「阿弥陀仏とお釈迦様の違い」といった内容を、私のような初心者にもわかる言葉で説明してもらえたのがうれしかったですね。
これまで、仏教の話といったら、「近所の人たちとのご縁を大切に」とか「ご先祖様のおかげで今の私たちがあんですよ」というような、学校の校長先生が話す道徳的なお話しか聞いたことがなかったので、法話のイメージが大きく変わりました。
スタッフの皆さんも、講座に行くたびにすてきな笑顔で、礼儀正しく迎えてくれるのが気持ちよくて、お話もすばらしかったんですが、皆さんにまた会いたいな、という思いもあったと思います。
今回は、皆さんに誘われるまま、この親鸞会館に来ました。
立派な建物で、その二千畳の講堂に、皆がきちっと正座で、真剣にお話を聞いている姿を見て、「ああ、浄土真宗とはえらいものだな」と思いました。
講演では特に、『正信偈』に書かれてある「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」の2行の意味を詳しく聞けたのがよかったですね。今までも、お寺の住職さんのすすめで『正信偈』を読んだことはありましたが、意味が分からなかったんで知りたいと思っていたんです。
『正信偈』の中で“例えを使って書かれているのはこの部分だけ”と聞いて、ただ読んでいても気づかないことを、くわしく教えてもらえるのがうれしかった。
一行一行に、びっくりするような深いことが教えられているのだから、『正信偈』の中身に書かれていることは、大変なものだと思います。
また来たいと思います。
教えを聞いて、それまで仏教に抱いていたいろいろな疑問が解消した、と喜ばれていました。
親鸞聖人の教えを聞けば、人生の疑問が氷解し、困難にぶち当たっても、力強く前進できるに違いありません。講演を聞かれた皆さんの笑顔が、とても明るく生き生きとしていたのが印象的でした。(文 齋藤勇磨)