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親鸞聖人

無常観が人生をひらく(悲しみの涙を感謝の涙に変える第一歩)

日本人の心に深く根付く無常観。実は、この無常観が本当の幸せになる第一歩だったのです。今回は、その無常観についてお話しいたします。

日本人の心に深く根付く無常観。実は、この無常観が本当の幸せになる第一歩だったのです。今回は、その無常観についてお話しいたします。

無常観とは? 諸行無常の意味

親鸞聖人が、9歳で出家されたことは、こちらに詳しくお書きしました。

◆親鸞聖人は、なぜ、わずか9歳で出家されたのか(リンク)

親鸞聖人は、ご両親が亡くなられたことを縁として、世の無常をはかなみ、本当の幸せを求め、仏門に入られたのです。仏教に「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という言葉があります。『平家物語』の冒頭に、

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響あり

という有名な一節がありますので、日本人にはよく知られています。
では、「諸行無常」とはどんな意味なのでしょうか。

諸行」とは「すべてのもの」。
無常」とは「常が無く、続かないこと」をいいます。

一切は常が無く、今日あって明日どうなるか分からないものばかりだということです。さんさんと輝く太陽さえも、あと五十億年で燃え尽きるといわれます。身の回りの一切はやがて輝きを失われてしまうのです。「財産も 名誉も一時の 稲光」。健康だ、財産がある、名声が高い、家が豪勢だという現実は絶えず変転します。夫や妻を頼りにしていても、死に別れもあれば、生き別れもある。生きがいに育てた子供も、親元を離れ、巣だっていきます。

誰しも持っている無常観

そして、さらに深く人生を見つめれば、皆、無常に泣いている、といえましょう。
病に苦しんでいる方は、健康が続かなかったから。借金地獄にもだえているのは、お金が続かなかったから。恋人に振られて泣いている人は、愛が続かなかったから。離婚して途方にくれている人は、結婚生活が続かなかったから。それぞれに辛く悲しいことですが、中でも、私たちにとって最も深刻な無常があります。何でしょう?それは、命の無常です。

命の炎が消えんとするとき、今まであて力にしてきた、妻子も財宝も、明かりとはなりません。この、命のはかなさを、蓮如上人は『白骨の章』に

朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり

と教えられています。朝、元気な顔で出掛けても、夕方には変わり果てた姿で帰ることがある。私たちは、いつどんな縁で、無常の風に誘われ、死なねばならぬか分かりません。

風は目に見えぬよう、無常の風も見えない。そして突然吹き荒れます。この無常を無常と見つめたとき、「この世は仮の幸せばかり。本当の幸せは、どこにあるのだろう。どうしたら、無常の世界において、真の幸せを得ることができるのか」と思わずにはおれなくなります。

無常観が本当の幸せへの第一歩

ある二十代の女性が、仏教の講師にこんな質問しました。
「私は若いし、健康です。お金にも困っていません。別に苦しみはないのですが、こんな人間に仏法は必要なんでしょうか」
すると講師は一言、「非常に素晴らしいことだけれども、その幸せは続くかね」。
その言葉に落雷のごとき衝撃を受け、「ああ、本当にそうだなあ。今は健康でも病気になることもあるだろうし、やがて年老い、最後は必ず死ぬ。仏法に説かれる、永遠に続く幸せを求めなければ」と、続けて聞かずにいられなくなったそうです。
無常を見つめることは、変わらない本当の幸せを求める、出発点なのです。このことを仏教で、

無常を観ずるは菩提心(ぼだいしん)の一(はじめ)なり

といわれます。
死を凝視することは、ただ暗く落ち込むことではなく、真実の幸福への第一歩です。
憂きことも、悲しきことも、みな方便(*)
悲嘆から、一歩、仏の道へ踏み出せば、必ず感謝の涙に変わるのです。

*方便 真実まで導くために絶対必要な手段

【まとめ】無常観が人生をひらく

  • 「無常を観ずるは菩提心の一なり」といわれるように、無常観が本当の幸せへの第一歩です
全て

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