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親鸞聖人

親鸞聖人御生誕850年で知るべき、浄土真宗の宝とは

今年(令和5年)、親鸞聖人御生誕850年という記念すべき年を迎えました。

各地で親鸞聖人ゆかりの旅行企画や国宝・名宝の展覧会、慶讃法要が行われているようです。

親鸞聖人はそのような国宝・名宝と言われるものを宝と教えられているのでしょうか。

浄土真宗では、何を宝だと教えられているのでしょうか。

今回の記事では、親鸞聖人がどのような方なのかを知り、本当の「浄土真宗の宝」とは何か、確認しましょう。

親鸞聖人のご出生

親鸞聖人は、承安3年4月1日に京都東の日野の里にお生まれになられました。

当時は日本史上、まれに見る荒廃と混乱の暗黒時代でした。

公家・貴族社会の平安時代から武士が台頭する鎌倉時代に移り変わろうとする激動の時代であり、また京都の3分の1が消失する大火災や、方丈記にも描かれる大飢饉がおこり、混沌とした中で、聖人は生を受けました。

父上は藤原有範卿、母は吉光御前といい、親鸞聖人の幼名は「松若丸」といいます。

両親の愛情に育まれ成長されましたが、4歳で父君と死別し、8歳で母君が帰らぬ人となってしまったのです。

無常を深く見つめられた親鸞聖人は、この後出家することを決意されます。

出家の動機

「今度死ぬのは自分の番だ」と驚かれた親鸞聖人は、人は死ねばどうなるのか、この世が終わったらどこへ旅立つのか、死後は有るのか、無いのか、どうなっているのだろうか、と考えずにはおれませんでした。

死んだらどうなるのかわからない心を「死後が暗い心の病」といい、この心を解決したいと9歳で親鸞聖人は仏門に入る決意をされたのです。

当時の僧侶は、国家公務員であり、エリート階級だったので、地位を求めて頭を丸めるものも多かったのですが、親鸞聖人の出家の動機は、「死後が暗い心の病」の解決以外、ありませんでした

一刻も早く出家を急ぐ

9歳の春に、叔父の藤原範綱に付き添われ、京都の青蓮院を訪れました。

後に、比叡山で最高の地位である天台座主となった慈鎮(慈円)和尚の寺です。

「わずか9歳で、出家を志すとは尊いこと。明日、得度の式(髪を剃り僧侶になる儀式)を挙げよう」と言われた慈鎮和尚に、親鸞聖人は筆を執られて、一首の歌を示されました。

明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは

(意訳)
今を盛りと咲く桜の花も、一陣の嵐で見るも無残に散ってしまいます。
人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞いております。
今日あって明日なき命、今日、得度していただけないでしょうか。

 

感嘆した慈鎮和尚は、その夜のうちに出家の儀を行いました。

このようにして親鸞聖人は天台宗の僧侶となったのです。

出家の動機について詳しくは、こちらの動画もご覧ください。

 

しかし20年間修行されたあと、親鸞聖人は比叡山を下山されます。

その理由はなんだったのでしょうか。

天台宗に絶望した親鸞聖人は下山を決意

9歳で出家してから20年間、親鸞聖人は血を吐く難行苦行に身を沈められましたが、「死後が暗い心の病」の解決はできませんでした。

天台宗の教えに絶望し、山を下りる決意をした時の苦悩が『歎徳文』という書に記されています。

定水を凝らすといえども識浪しきりに動き、心月を観ずといえども妄雲なお覆う。しかるに一息追がざれば千載に長く往く

(引用:『歎徳文』)

(意訳)
ああ、あの湖水のように、私の心は、なぜ静まらないのか。静めようとすればするほど、散り乱れる。どうして、あの月のように、さとりの月が拝めないのか。次々と、煩悩の群雲で、さとりの月を隠してしまう。このままでは地獄だ。この一大事、どうしたら解決ができるのか。

琵琶湖

 

親鸞聖人は、さしせまる無常に驚き、居ても立ってもおれぬ不安に襲われました。もはや一刻の猶予もありません。

「どこかに、煩悩に汚れ、悪に染まった親鸞を、導きたまう大徳はましまさぬか」

29歳のとき、親鸞聖人は泣き泣き、比叡山を後にするのでした。

その後しばらく京都を彷徨いましたが、ついに探し求めていた本当の仏教の先生と巡り合えたのです。

法然上人との出会い

比叡山を下りたあと、親鸞聖人は救いを求めて聖徳太子の建立した六角堂で、百日間の祈願をするなど、救われる道を必死に探しました。

しかし「死後が暗い心の病」は解決できず、夢遊病者のように京都の街をさまよっていた親鸞聖人が四条大橋にさしかかると、声をかけてくる人がありました。

比叡山でともに修行をした旧友、聖覚法印です。

聖覚法印に導かれて、京都吉水に法然上人ましますことを知られた聖人は、「死後が暗い心の病」の解決を求めて、法然上人のもとへ赴かれました。

そこで親鸞聖人は、雨の日も風の日も、真剣に法然上人が説かれる阿弥陀仏の本願を聞かれました

そして阿弥陀仏の本願によって「死後が暗い心の病」が解決され、絶対の幸福(信心決定)に救い摂られたのです。

このことを『教行信証』では、

愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す

(引用:『教行信証』後序)

とあり、『御伝鈔』には、

建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて源空聖人(法然)の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。これすなわち、世くだり人つたなくして、難行の小路迷い易きによりて、易行の大道に赴かんとなり。真宗紹隆の大祖聖人、ことに宗の淵源をつくし、教の理致をきわめて、これを述べたまうに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり

(引用:『御伝鈔』)

と記されています。

法然上人から阿弥陀仏の本願を聞かれて、たちどころに(一念)他力の信心を獲得なされたのです

そして聖人は、

「ああ、不思議なるかな・・・・・親鸞は、果てしない過去からあえなかった弥陀の救いに、今あうことができた。億劫の間求めても獲られなかった絶対の幸福を、今獲ることができた。これはすべて、阿弥陀仏の本願の強いお力によってであった。阿弥陀仏の本願まことだった、本当だった・・・・・。早く皆に伝えなければならない。こんな広大無辺な世界の有ることを」

と教行信証に書き記されています。

すぐに法然上人のお弟子になられた親鸞聖人は、「こんな極悪の親鸞を、無上の幸福に救ってくだされた阿弥陀仏の大恩は、身を粉にしても骨を砕いても返さずにおれない」と、阿弥陀仏の本願ただ一つ、生涯伝え続けられたのです。

法然上人との出会いについては、こちらの記事も合わせてお読み下さい。

親鸞聖人が伝えてくだされたこの「阿弥陀仏の本願」によって、一念で絶対の幸福に救いとられたことを一念の信心といいます。

浄土真宗の真実の宝とは、この一念の信心をいいます。

浄土真宗の真実の宝について

親鸞聖人御生誕850周年に、親鸞聖人ゆかりの国宝・名宝の展覧会が開催されます。聖人を縁に、国宝などの珍しいものにふれるいい機会となるからでしょう。

一方、浄土真宗中興の祖・蓮如上人は、浄土真宗の真実の宝について次のように仰っています。

当流の真実の宝と云うは、南無阿弥陀仏、これ、一念の信心なり

(引用:『蓮如上人御一代記聞書』)

当流とは、親鸞聖人の教え、浄土真宗のこと。

つまり「浄土真宗の真実の宝とは、南無阿弥陀仏であり、『一念の信心』のことである」と教えられているのです。

一念の信心を真実の宝と言われている理由は、なんでしょうか。

一念の信心とは、一念の瞬間で絶対の幸福に救われることをいいます。

阿弥陀仏の本願によって一念で絶対の幸福に救われることが、浄土真宗の宝なのです。

絶対の幸福とは、絶対に変わらない、絶対に崩れない幸せのことです。

私たちが知っている幸福は、今日あって明日なき無常の幸福です。一生、汗と膏で築きあげた家屋が、一夜のうちに灰になり悲泣している人もあり、昨日まで一家和楽の家庭も、今日は交通事故や災害で、地獄の悲惨を味わっている人もあります。

たとえ大禍なく幸せが続いたとしても、死に直面すれば、必ず総くずれになります。

このような幸せは、常に壊れはしないかという不安がつきまとい、本当の幸せにはなれません。

無常の幸福ではなく絶対の幸福になったことを一念の信心といい、真実の宝だと言われるのです

この一念の信心を、親鸞聖人は生涯、伝えていかれました。

破天荒の肉食妻帯も、法友との三大諍論も、越後流刑、悲痛な長子善鸞の勘当も、この一念の信心の開顕のご苦労だったのです。

すべての人よ、親鸞と同じく、阿弥陀仏の本願によって絶対の幸福に救われてもらいたいというお気持ちで、親鸞聖人は私たちに「一念の信心」を教えられています。

親鸞聖人の不惜身命のご苦労がなければ、今日の私たちは、真実の宝である「一念の信心」を知ることはできませんでした。

どうすれば一念の信心を獲得できるのか

真実の宝である「一念の信心」を獲得し絶対の幸福になるには、どうしたらいいのでしょうか。

それは「仏法は聴聞に極まる」と教えられています。

阿弥陀仏の本願を聞く一つです。

では、どのように阿弥陀仏の本願を聞けばいいのでしょうか。

親鸞聖人は、主著の教行信証で次のように教えられています。

「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し。これを「聞」と曰うなり

(引用:『教行信証』信巻)

(意訳)
「聞」とは、阿弥陀仏の本願の「生起・本末」を聞いて、ツユチリほどの疑心もなくなったことをいう。

 

このように、「死後が暗い心の病」を解決し、一念で絶対の幸福に救う阿弥陀仏の本願の真意を明らかにされたのが親鸞聖人でありました

浄土真宗親鸞会のミッションは、この親鸞聖人の教えを正確に、一人一人の胸から胸へ伝えることに以外にはありません。

これまでも、今も、これからも、親鸞学徒のミッションを果たしていきます。

 

 

 

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