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コラム

親鸞聖人の教えを学ぶ親鸞学徒の常訓とは?

親鸞学徒とは、親鸞聖人の教えを学び、信じ、伝える人のことです。
その親鸞学徒が常に訓示とすべき親鸞学徒常訓があります。

親鸞聖人の教えを学ぶ者の心構えとは

親鸞学徒とは、親鸞聖人の教えを学び、信じ、伝える人のことです。その親鸞学徒が常に訓示とすべき親鸞学徒常訓があります。

我ら親鸞学徒は、更に珍らしき法をも弘めず、親鸞聖人のみ教えを、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり

これが親鸞学徒常訓です。親鸞学徒は、今まで誰も教えたことがない珍しい話や、自己の救われた生々しい体験談を語るものではない。ただ親鸞聖人の教えを聞き求め、お伝えする以外にないのです。

親鸞聖人のみ教えを、正確に、迅速に、自他に徹底するために結成された浄土真宗親鸞会を、アメリカの蓮如上人研究の第一人者、ロジャース教授は、かつてこう評しました。

「親鸞会は、釈迦牟尼から七高僧を経て、親鸞聖人、および覚如、蓮如上人へと続いた正法の正統な継承者として高森先生を仰ぎ、同氏の指導のもと、大変精力的に、かつ根気強く、親鸞聖人の真実の教えを伝えている」
「親鸞会は、蓮如上人の遺産だと思います」

ロジャース教授

まさに、学者の言といえましょう。親鸞会が、釈尊、七高僧、親鸞・覚如・蓮如上人に一貫した教えを説いていることを、正確に見抜いているのです。珍しき法も、変わった法もない。ただひたすらに親鸞聖人のみ教えを明らかにしてきた結果が、今日の浄土真宗親鸞会となったのです。「知人のつきあいで行った宗教の集まりは、体験談ばかりでうんざりしたけど、ここは教えが聞ける」という感激の声もよく耳にします。

親鸞学徒の鑑 蓮如上人の精神

親鸞学徒の鑑(かがみ)は何といっても蓮如上人です。蓮如上人の有名な『聖人一流の章』には、まず、「親鸞聖人が一生涯教えられたことは」(聖人一流の御勧化の趣は)と書きだされています。ご自身の考えではなく、「親鸞聖人の教えばかり」を常に説かれています。
蓮如上人が書かれた『御文章』はこの御心で貫かれ、

「それ、当流親鸞聖人の勧めまします所の一義の意というは……」(2帖目10通)
「抑、親鸞聖人の一流に於ては、平生業成の儀にして……」(1帖目4通)
「抑、親鸞聖人の勧めたまうところの一義の意は……」(3帖目7通)

枚挙にいとまありませんが、いずれも「親鸞聖人はこう教えられた」「親鸞聖人の教えはこうだ」と仰っています。どこにも「この蓮如は」の主張は見られません。このように85年の生涯、蓮如上人の布教姿勢は一貫して変わりませんでした。それに対し、”私は、ああだった、こうなった”と、自分が救われた具体的な体験を語る人がありますが、そんな体験談は各人各様、その人だけのもので、古今東西変わらぬ普遍的な「教え」ではありません。三世十方を貫く「法」とはいえないものです。そんな体験談を語る人は、親鸞学徒の鑑(手本)と仰がれる蓮如上人の布教精神に全く反しているのです。

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