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浄土真宗

浄土真宗と浄土宗はどう違うのですか【浄土真宗の教え】

浄土真宗と浄土宗は別の宗派だから、親鸞聖人の教えと法然上人の教えは別なもののように誤解されています。なぜそうなってしまったのでしょう。経緯をお話しいたします。

浄土真宗と浄土宗は別の宗派だから、親鸞聖人の教えと法然上人の教えは別なもののように誤解されています。なぜそうなってしまったのでしょう。経緯をお話しいたします。

「浄土宗は法然上人 浄土真宗は親鸞聖人」は正しいのか

一般に、浄土宗は法然上人、浄土真宗は親鸞聖人が開かれたといわれています。そして浄土宗は、南無阿弥陀仏と念仏を称えることで、極楽浄土へ往生できると教え、浄土真宗は、阿弥陀仏の本願を聞く一つで現世で極楽往生が決定(往生一定)し、その人が命終われば浄土へ往生できる。念仏はその身に救われたお礼であると説きます。 

法然上人と親鸞聖人は師弟の関係でしたので、日本史の教科書には、「法然の教え(浄土宗)を、さらに〃発展〃させたのが親鸞の浄土真宗」などと表記されてきました。最近では、親鸞聖人は「新たな教説を生み出した」「独自に教えを展開」等の表記に変更されているようです。
しかし、ここは大きく誤解されているところでもあるので注意が必要です。法然上人の教えと、親鸞聖人の教えは、実は変わるものではないのです。

法然上人も親鸞聖人も同じ教えを伝えられた

法然上人は、主著『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』の中で、天台、真言、禅宗などの聖道仏教(しょうどうぶっきょう・自力の修行でさとりを開こうとする教え)では、末代の凡夫は助からず、阿弥陀仏の本願によらねばならないことを、多くの経典を引用し、完膚なきまで論証されました。

聖道仏教が全盛だったこの時代に、法然上人は明確な意志をもって、釈尊の本意である「阿弥陀如来の救い」を説く「浄土宗」を新たに開かれたのです。その法然上人を心から尊敬された親鸞聖人には、新しい宗派を立てようとか、新たな教団を作ろうという気持ちは少しもありませんでした。
実際、親鸞聖人は「本師源空(法然)あらわれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまう」と仰って、浄土真宗を開かれたのは法然上人であるとも明言されています。
「浄土真宗」とは「選択本願(阿弥陀仏の本願)」の別名であり、法然上人も親鸞聖人も、教え方こそ異なる点はありますが、阿弥陀如来の本願の正しい御心を教えられた点で、寸分の違いもないのです。

今の浄土宗は、法然上人の開いた浄土宗なのか

ならばなぜ、「違う」という誤解が生まれたのか。その経緯を説明いたしましょう。
法然上人が亡くなられたあと、浄土宗は、解釈の相違から5つの派に分かれます。このように分かれてしまったのは、法然上人のお弟子には、聖道仏教から移ってきた人が多かったせいもあります。これらの人は、聖道仏教的な考え方がしみついているため、法然上人の教えをどうしても正確に受け取ることができなかったのです。

こうした教えの乱れを嘆かれた親鸞聖人は、『選択本願念仏集』を解釈した『教行信証』を著され、師・法然上人の本当の御心の開顕に努められました。その親鸞聖人の教えを聞く人々が後代、大きな集まりとなり、浄土真宗と呼ばれるようになったのです。 

今日、世間で浄土宗といわれているのは、証空の開いた「西山派」か、弁長の「鎮西派」です。しかし、二人とも法然上人の高弟ではありましたが、『選択本願念仏集』の教えを歪曲しているので、「法然上人の開いた浄土宗」とはいえません。

【まとめ】浄土真宗と浄土宗はどう違うのですか

  • 親鸞聖人の教えと法然上人の教えは同じ
  • 今の浄土宗(西山派、鎮西派など)は、法然上人の開いた浄土宗とはいえない

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