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親鸞聖人

親鸞聖人が苦しまれた煩悩とは

煩悩とは? 特に大きな三つの煩悩とは? 煩悩あるがままに幸せになれるって本当?

親鸞聖人が苦しまれた煩悩とは

9歳で仏門に入って20年、親鸞聖人は比叡山で血を吐く難行苦行に専心されましたが、後生暗い心に灯りはともりませんでした。それどころか知らされるのは、欲や怒り、うらみねたみの煩悩にまみれた醜い自己の姿ばかりだったのです。このことは以前の記事でお話しいたしました。

今日は、親鸞聖人が苦しまれた「煩悩」についてお話しいたします。

煩悩ってなに?

「煩悩」とは仏教の言葉で、私たちを苦しみ悩ませるものです。一人一人に108あると説かれています。108と聞いて思い浮かべるものはありますでしょうか。そうですね、大晦日(おおみそか)に突く除夜の鐘です。「今年一年、煩悩に苦しんだ。来年こそ煩悩で苦しまぬように」と願って煩悩の数だけ鳴らすのです。

代表的な三つの煩悩

その煩悩の中で代表的なものが三つあります。これを三毒の煩悩(さんどくのぼんのう)といいます。特に恐ろしい猛毒を含んだ煩悩だからです。
三毒の煩悩とは、「欲」、「怒り」、妬みそねみの「愚痴」です。

代表的な煩悩(1)欲

欲とは、欲しい欲しいと求める心。無ければ無いで欲しい、有れば有ったでもっと欲しい。あれも、これもと求めるが、あれも足らん、これも足らんと欲に振り回されてしまいます。
常に満足を知らず、欲しい欲しいと渇き続けているのは、欲の心によるものです。

代表的な煩悩(2)怒り

欲が妨げられると噴き上がってくるのが怒りです。心の中で、相手を「あの奴」「この奴」と心のまな板の上で相手を切り刻むので、「怒り」という字は「心」の上に「奴」と書きます。
昔から「怒りは敵と思え」とか「腹立った時は数を数えよ」「怒りは無謀に始まり後悔に終わる」などと教訓されていても、ひとたび怒りの炎が燃え上がると、それまで積み上げてきた教養も知識も経験も吹き飛んで、後は野となれ山となれ! とヤケになり、言ってはならぬことを言い、やってはならぬことをやり、夫婦間に亀裂が生じて離婚、親友と絶好、そんな悲劇も後を絶たないようです。全てを失い、焼け野原で一人ポツネンと後悔している人のいかに多いことでしょう。

代表的な煩悩(3)愚痴

妬(ねた)み・そねみとは「愚痴」といわれる煩悩です。
「勝るを妬む」といわれるように、友人の才能や美貌、出世や成功を妬み、逆に、失敗や災難など不幸を喜ぶ心です。とても醜く恐ろしい心ですから、親鸞聖人は「心は蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり(蛇や蝎を見た時のようなゾッとする心)」と仰っています。

煩悩具足の私たち

お釈迦様は、すべての人間の真実の姿を「煩悩具足の凡夫」と教えられています。
「煩悩具足の凡夫」とは、煩悩以外に何もない、煩悩百パーセント、これが古今東西の人類の実相だということです。
 親鸞聖人は次のお言葉で教えられています。

人間というものは、欲や怒り、腹立つ心、妬みそねみなどの、塊である。これらは死ぬまで、静まりもしなければ減りもしない。もちろん断ち切れるものでは絶対にない

『凡夫』というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、瞋り腹だち、そねみねたむ心多く間なくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず。(一念多念証文)

仏法を聞けば、煩悩が減り、穏やかに生活できると思っている人が多いのではないでしょうか。親鸞聖人も仏道修行で煩悩を減らそうと、比叡山で20年間、命懸けの難行苦行に身を投じられましたが、煩悩は全く変わらないことを知らされ「止まらず消えず絶えず」と言われています。

煩悩あるままで幸せな人生にガラリと変わる

そんな煩悩具足の私たちを、この世も未来も幸せに救ってくださる「阿弥陀如来の本願」を、お釈迦様も親鸞聖人も生涯明らかになされました。
平生、生きている今、この阿弥陀如来の本願力によって救い摂られた時、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わります。煩悩は変わらないままで、どんなことがあっても変わらぬ絶対の幸福に救われ、来世は必ず阿弥陀如来の極楽浄土へ往ける身となるのです。

【まとめ】親鸞聖人が苦しまれた煩悩とは

  • 煩悩とは欲、怒り、ねたみ、そねみなどで一人一人に108ある
  • 私たちは煩悩具足の凡夫(煩悩以外に何もない)
  • 煩悩具足のままで本当の幸せに救うのが阿弥陀仏の本願
全て

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