学んだ人の声
- 名前
- 澁木作次さん
- 出身地
- 富山県
- 職業
- 元・門徒総代
- 性別
- 男性
どのようなきっかけで仏教を聞かれるようになりましたか?
建設省(現・国土交通省)を退職し民間企業に勤めていた62歳頃、寺の住職から門徒総代を頼まれ、これも人助けになるのだろうと思って引き受けました。
それから寺の報恩講や追悼会、夏の朝説法、正月の行事などに参加するようになり、50人以上の布教使の話を聞きましたが、みな自分の考えや意見を述べるばかりで、一人一人、話が違うので「浄土真宗の教えは、よく分からないなあ……」と思っていました。
寺院関係者の会合ではもっぱら「このままでは寺は組織が変わるか、統合されるか、消滅するかもしれない。打開するにはどうすればいいか」が話し合いのテーマでした。
「確かに寺を存続させるのは難しいだろうけど、そもそも寺は何のためにあるのだろう?」
と感じていた7年前、チラシを見て、親鸞会の仏教勉強会に足を運びました。
そこで初めて『正信偈(しょうしんげ)』の冒頭「帰命無量寿如来 南無不可思議光(きみょうむりょうじゅにょらい なむふかしぎこう)」の意味を聞いたのです。
はじめて『正信偈』の法話を聞かれて、どう思われましたか?
『正信偈』の最初の2行は「親鸞は阿弥陀如来に救われたぞ、親鸞は阿弥陀如来に助けられたぞ」という、親鸞聖人が生きている今、救われた、あふれる喜びの告白であると聞き、「まさか、この世で救われるなんて、そんなことあるのか。浄土真宗は死人のための教えと思っていた。生きている時に救われる!?これが本当の浄土真宗なのか」と、すごい衝撃を受けました。
親鸞会館に参詣された時の、第一印象を聞かせてください。
まず、親鸞会の法話では「親鸞聖人の教え」が説かれているということ、これに驚きました。教えが説かれるのは当たり前のように思うかもしれませんが、それまで法話といっても、寺では世間話や個人的な味わいばかり聞いてきたので、大きな違いを感じました。親鸞聖人の教えが素晴らしいから、親鸞会館で法話を聞く人もイキイキしていますよね。
また、参詣しているのはお年寄りばかりかと思ったら、意外に若い人が多く、しかも礼儀正しい。表情も明るくて、歩いていると、みんなから挨拶されます。
大勢集まると騒がしいものですが、親鸞会館は違う。二千畳の大講堂が何千人もの人で満堂なのに、ご説法が始まると、シーンとして雑音はなく、皆さん、真剣に話を聞いています。まるで別の星に来たようでした。
親鸞会で教えを聞くようになって、どう変わりましたか。
長年、聞けなかった浄土真宗の教えを、今こそ深く学びたいと、お釈迦様や親鸞聖人のお言葉を覚えたり、その意味を学んだりするようになりました。ご説法を正確に、はやく理解するには、どうしても必要だと感じて始めました。酒と囲碁が趣味でしたが、勉強に集中するために、やめました。
最後に皆さんへ一言メッセージをお願いします。
浄土真宗を知りたいと思ったら、いっぺん親鸞会の法話を聞いてみてください。想像しているのと、まったく違うことが分かると思います。