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慈悲とは|仏の慈悲と人間の慈悲の3つの違い

「慈悲」は、仏教の言葉です。「慈」は苦しみを抜いてやりたいという心。「悲」は楽しみを与えてやりたいという心。その慈悲にも、仏様と人間とでは3つの大きな違いがあります。その違いを、ここで学びましょう。

慈悲の「慈」と「悲」にはそれぞれ意味がある

ニュースでおぞましい事件が報道され、犯人に対して「慈悲のカケラもない」「なんて無慈悲なんだ」などという声を聞くことがあります。
反対に、困っている人、悲しみに暮れている人に、サッと手を差し伸べる人があれば「慈悲深い人だなぁ」と称賛します。

日常会話でも、自然と口にする言葉が「慈悲」ですが、実は、仏教用語です。

「慈」には、「苦しみを抜いてやりたい」という「抜苦(ばっく)」の意味があります。「悲」には、「楽しみを与えてやりたい」という「与楽(よらく)」の意味があります。
「慈悲」とは「抜苦与楽」を意味する言葉なのです。

子を思う親の慈悲

幼いころ、病気になって親に看病してもらった経験は誰しもあることでしょう。夜中に急に咳き込んで苦しそうにしている我が子を見て、居ても立ってもいられなくなり、深夜でも病院に連れて行き、何とか苦しみをなくしてやりたいと願うのが親の「慈」の心です。

また、大好物のハンバーグを食べている我が子が、自分のハンバーグをペロリと平らげ、今度は親のハンバーグまで「食べたい」と言い出す。それを嫌な顔一つせず、子どもの皿に分け与え、喜ぶ我が子の顔に満足するのは、親の「悲」の心でしょう。

子を思う親の慈悲ほど深いものはないと言われますが、深くうなづかずにはいられません。

人間の慈悲と仏様の慈悲の3つの違い

このように、私たち人間にも「慈悲」の心があるのですが、仏教では、人間の慈悲を「小慈悲」といわれます。それに対して、阿弥陀如来の慈悲を「大慈悲」と教えられるのです。

この「小慈悲」と「大慈悲」には、大きな違いが3つあります。それぞれの違いについて見ていきましょう。

限定的な人間の慈悲と限りない仏の慈悲

違いの一つ目に、人間の慈悲は、「幸せになってもらいたい」と思う相手が、子供や親、夫や妻、友人など、身近な人に限られることが挙げられます。

疲れていたり、生活が苦しいときでも、「大切な、あの人のためならば、なんのその!」という気持ちが起きるのは、親しい間柄の人に対してでしょう。全く見ず知らずの人に、同じような心は起きません。
人間の慈悲は、このように限定的であり、誰に対しても平等にはなりえないので「小慈悲」といわれるのです。

ところが、阿弥陀如来の大慈悲には限りがなく、一切の差別がありません。男も女も、老いも若きも、愚かな人も賢い人も、貧しい人も豊かな人も、醜い人も美しい人も、そのほか、人種や職業なども関係なく、すべての人に平等に注がれるのが、阿弥陀如来の大慈悲なのです。

続かない人間の慈悲と変わらない仏の慈悲

二つ目に、人間の慈悲は、残念なことに、その思いが長続きしません。

テレビのニュースで、「世界では5人に1人の子供が餓死している」と聞くと、「かわいそうだな。日本では食品ロスが問題になっているから、それを提供して何とか助けられないものかなあ」などと思いますが、それは、ほんの一時のこと。次のニュースになったら、たちまち頭から離れてしまいます。

こんな話も聞きます。高齢となり病気のために入院したところ、疎遠だった子供たちが見舞いに来てくれた。ところが、兄弟同士、話をし始めると、遺産をどうするか、土地や金品の権利を主張し合う始末。子供のためなら、と懸命になって育ててきたのに、病床に伏す自分の目の前で遺産の取り合いをされては、悲しいやら、腹立たしいやら……。どんな相手にも、一貫して変わらぬ慈悲をかけ続けることは極めて難しいと分かります。
ここにも人間の慈悲が「小慈悲」といわれる所以があるのです。

しかし、阿弥陀如来の大慈悲は、どんな相手にも、どれだけ経とうとも、永久に変わることはありません。

盲目の人間の慈悲と智慧に裏付けられた仏の慈悲

三つ目の違いは、人間の慈悲は、盲目の慈悲といわます。「盲目」とは、未来を見通す智恵がないということ。そのため、「幸せになってもらいたい」と願っての行動が、かえって相手を不幸にしてしまうことがあるのです。

例えば、「我が子が喜ぶならば」と、欲しがるものを何でも好きなだけ買い与えたら、どうなるでしょう。わがまま放題で、社会性のない人間になってしまっては、かえって不幸にしてしまいます。

それに対して、阿弥陀如来の大慈悲は、未来を見通す智慧に裏づけられていますから、私たちを必ず、未来永遠、変わらない幸せにしてくださるのです。

仏教は大慈悲の阿弥陀如来の本願を説かれた教え

このように、「小慈悲(人間の慈悲)」と「大慈悲(阿弥陀如来の慈悲)」には、3つの大きな違いがあります。

そして、仏教を説かれたお釈迦様は、この大慈悲の阿弥陀如来の本願一つを80年の生涯、教えてゆかれました。浄土真宗の親鸞聖人もまた、阿弥陀如来の大慈悲によって、生きている今、絶対の幸福に救われることを、伝えてゆかれたのです。

【まとめ】仏教で「慈悲」とは?仏の慈悲と人間の慈悲の違い

  • 慈悲とは「抜苦与楽」のこと。
  • 仏教では、人間の慈悲を「小慈悲」、仏の慈悲を「大慈悲」と教えられる。
  • 人間の慈悲は、相手が限られるが、仏の慈悲は、すべての人にかかる。
  • 人間の慈悲は、続かないが、仏の慈悲は永遠に変わらない。
  • 人間の慈悲は、相手のためにしたことが裏目に出ることがあるが、仏の慈悲は智慧に裏付けられているから、必ず相手を幸せに導く。
  • 大慈悲の阿弥陀如来の本願一つを教えられているのが仏教。
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