「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。
平家の盛衰を名文で描いた『平家物語』の冒頭です。高校の教科書で覚えた経験のある方も多いでしょう。短く、シンプルな構成の一文ですが、なぜか、いつまでも心に残る魅力がありますね。
ここに出ている「諸行無常」とは、仏教の言葉で、お釈迦様が教えられたことです。「諸行」とは、この世のすべてのもの、「無常」とは、常が無い、続かないということです。『平家物語』の最初に、こう書かれているのも、平家の栄耀栄華は“続かなかった”ことを描くのが、作品の主題であったからでしょう。
そのように“続かない”のは、「そんな時代もあったね」ということでは、ありません。お釈迦様が仏教を説かれた2600年前も、『平家物語』が書かれた鎌倉時代も、そして、科学文明の発展した今日も、「諸行」は「無常」。いつの時代、どこの国でも、「諸行無常」は変わりません。
「そんな暗い話、聞きたくない」と思う人もあるでしょう。ところが、「諸行無常」の真実を知ることは、「本当の幸せになる入り口」です。暗いどころか、底抜けに明るい人生が始まる第一歩になることは、間違いありません。では、「諸行無常」とは、どんなことか。私の人生と、どんな関係があるのでしょう。
身の回りのすべて、私の心も体も、地球も太陽も「無常」
「諸行」とは「すべてのもの」です。今、手にしているスマホやパソコン、座っている椅子、着ている洋服、腕につけている時計、毎日使っているカバン、履いている靴、住んでいる家、乗っている車。そして、家族構成、恋人や友達との人間関係、上司や後輩から得ている信頼、会社での立場など、みな「諸行」に入ります。私自身の心も肉体も「諸行」です。さらに、少し視野を広げてみますと、私たちが住んでいる地球も、その地球を照らしている太陽も、例外ではありません。
それらは、みな「無常」のものです。「無常」とは、「常が無い」ということです。今の状態が、いつまでも、ずっとそのまま、変わらずに続いていくことはありません。急激に変化するか、徐々に変わるか。その違いはあっても、すべてのものは、変わり続けているのです。
大切なものに 囲まれている幸せも 「無常」
苦しい環境が「続かない」のは、悲嘆すべきことではないでしょう。問題は、“大切にしているもの”“愛しているもの”が、変わってしまった時、続かなくなった時です。その時、私たちは、苦しみに襲われます。大切に思う心、愛する気持ちが強いほど、失った悲しみや裏切られた嘆きは、深刻になります。
例えば、「恋人と過ごすひととき」「一家団欒できる食卓」「おしどり夫婦と羨まれる関係」「経済的にゆとりある生活」「老後に不安のない十分な蓄え」「多くの人から感謝される、やり甲斐のある仕事」「スポーツ、カラオケ、温泉旅行、グルメ、晩酌など、趣味を楽しめる健康な体」など、大事にしている幸せは、人それぞれ、いろいろありますね。
しかし、「諸行」は「無常」ですから、いずれも、いつまでも変わらずに続くものではありません。生きる支えにしてきた幸せが、事故や災害、病などの縁にあって壊れてしまった時、私たちはショックを受けるのです。
女心も男心も「無常」で、移ろいやすい
「心変わり」ということもあります。心も「無常」だからです。「女心と秋の空」といわれるのは、女心は、秋の空のように変わりやすく移り気で、“続かない”ということです。これは、男性も同じです。「男心」も「女心」も、変わりやすいのです。「この人と一緒になる」と決めて盛大な結婚式を挙げた時には、想像もしないでしょうが、心は移ろいやすく、離婚するカップルも少なくありません。
結婚式で花嫁が「怖いほど幸せ」と口にすることがありますね。幸せの絶頂期といってもよさそうな時なのに、なぜ、「怖いほど」という言葉が出たのか。それは、「今が、幸せの頂上だから、あとは下るだけ」という不安な気持ちの現れなのでしょう。
昔から、「人は、山のてっぺんに登ることはできるが、そこに長く住むことはできない」といわれる言葉にも、どんな幸せも「無常」であることが教えられています。
「無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり」
「悲観しすぎだよ。私の場合、けっこう幸せ、続いているよ」という人が、あるかもしれません。そんな人にも、いずれ、人生最後の日が訪れます。「私が、この世を去る日」が来るということです。なかなか想像しにくいことですが、これが、最も深刻な「無常」でしょう。
「やっぱり、暗いじゃん」。いいえ、暗い話では、ないんです。「無常を観ずるは、菩提心の一なり」といわれます。「菩提心」とは、「本当の幸せになりたい」という心です。
「本当の幸せ」とは、変わらない幸福のことです。ごまかしたり、目を背けたりせず、「無常」という真実をまじめに見つめるほど、「変わらない幸せになりたい。二度と裏切られることのない幸福を求めたい」という気持ちが強くなりますから、「無常を観ずるは菩提心の一なり」といわれます。「一(はじめ)なり」とは、一番大事ということです。
お釈迦様が、この「諸行無常」を説かれたのは、一切のものが滅びゆく世にあって、決して滅びることのない、本当の幸せになるために、人は生まれてきたのだと明らかにされるためだったのです。
【まとめ】
○「諸行無常」は
いつでもどこでも変わらない真実
○「諸行」とは、
形あるものも、形ないものも、
すべてのもの。
○「無常」とは「常が無い」。
今の状態が、そのまま変わらずに
続いていくということは、ない。
○大事にしていた幸せが
続かなくなった時、
私たちは、苦しみや悲しみに沈む。
○「諸行無常」の真実を知らされるほど
「変わらない幸せ」「続く幸せ」を
求める気持ちが強くなる。
○人間に生まれてきた目的は
「変わらない幸せ」「続く幸せ」になるため。
それを説かれたのが仏教。