自業自得とは 実は「運命」の仕組みを一言で表した言葉 分かりやすくて詳しく分かる仏教用語集
「自業自得」の本当の意味を知れば、どうすれば、自分に、幸せな運命を引き寄せることができるか、不幸な運命を遠ざけることができるか、ハッキリ知ることができます。
自業自得は、人生を決める大事な仏教用語
「こんなひどい交通事故を起こしたのは、スピード抑えろって、あれだけ言ったのに無視し続けた、君の自業自得だよ」とか、「暴飲暴食をやめないから、入院する羽目になったんだ。あなたの自業自得ですよ」などと使われるのが、「自業自得(じごうじとく)」という言葉です。
日常生活で耳にする「自業自得」は、仏教の言葉です。ひどい結果を受けている人に対して「自業自得」という言葉を使う人が多いでしょう。
しかし実は、この「自業自得」という言葉は、私たちが最も知りたいと思っている「運命」の仕組みを、一言で表されている言葉なのです。
ですから、「自業自得」の本当の意味を知れば、どうすれば、自分に、幸せな運命を引き寄せることができるか、不幸な運命を遠ざけることができるか、ハッキリ知ることができます。
よく使われる「自業自得」
仏教で、「業(ごう)」とは「行為」のことですから、「自業」とは「自分の行為」のことです。「自得」とは「自分が結果(運命)を得る」ということです。「自業自得」とは、「自分の行為」が「自分の運命」を生み出す、と教えられている言葉です。
「自業自得」と聞きますと、何か嫌な運命に見舞われた時にだけ、使われる言葉のように思われています。
家族からも、同僚からも、「体に悪いから、いい加減、タバコは、やめなよ」と、たびたび促されていたのに、一向にやめず、吸い続けたために病気になった人がいると、「あれは自業自得だよね」と、ささやかれます。
「遊泳禁止」の看板があるのに、危険な川に入って遊び、溺れてしまった人にも、同じように「ルールを破ったのだから自業自得だ」と言われます。確かに、これらは、「自業自得」です。
「自業自得」は成功のカギ
しかし、ここで注意が必要なのは、「業」とは、「悪業(悪い行為)」だけのことではない、ということです。「善業(善い行為)」も、「業」なのです。
例えば、何百回、何千回と実験をして失敗しても、あきらめず研究を続けた結果、大発見をしてノーベル賞に輝いた、ということがあるでしょう。こんな場合も、「あきらめずに研究に励んだ」という自分の行為によって「ノーベル賞を受賞」という結果を得たのですから、「自業自得」です。
オリンピックのメダリストになることを目標に、昼夜なく練習に励み、並み居るライバルを倒して見事メダルを獲得した人があれば、「練習に励んだ」という「自分の行為」によって生み出された結果ですから、「自業自得」です。
友達がゲーム三昧の時も、遊びたい誘惑に負けずに頑張って勉強を続けて、第一志望の大学に合格できたとすれば、それもまた、「勉強した」という「自分の行為」によって得られた結果ですから、「自業自得」です。
悪い結果の時だけでなく、善い結果が現れた時も、「自分に現れる運命のすべては、自業自得なのですよ」と、釈迦は教えられています。
「自業自得」を知らないために、縁起担ぎ?
この運命の仕組みがハッキリせず、未来どうなるか分からぬ不安をかき消すために、「願掛け」や「縁起担ぎ」、あるいは「困った時の神頼み」などで、なんとか幸せな運命を引き寄せようとする人もありましょうが、お釈迦様は、あくまでも「自分の運命を生み出すものは、自分の行為である」と、ハッキリ示されています。
善いのも悪いのも、自分の運命のすべては、自分の行いが生み出したものであり、例外はありません。それが「自業自得」ということです。自分以外の何かによって運命が決まるということは、絶対にないのです。
「自業自得」だから、自分の運命は変えられる
この「自業自得」の運命の仕組みが、よく分かるほど、「自分の行為(自業)」を顧みることになりますので、むやみやたらに、「他人」を憎んだり呪ったりするのは、いかに愚かなことか知らされるでしょう。
そして、幸せ(善い運命)が欲しければ、「善い行い(善業)に努めよう」という気持ちが強くなります。反対に、不幸や災難、トラブル(悪い運命)は欲しくないので、「悪い行い(悪業)は慎もう」という気持ちが強くなります。
自分の行い、自分の行動を変えることによって、確実に未来は変わるのです。
自業自得【まとめ】
- 「自業自得」とは「自分の行い」が「自分の運命」を生み出すということ
- 「悪い運命」の時だけでなく、「善い運命」の時も、「自業自得」
- 「自業自得」の運命の仕組みが分かるほど、「善い行い」に努め、「悪い行い」を慎もうという気持ちが強くなる
- 自分の行為によって、自分の運命は変えられる