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因果応報とは 人生を幸せに生きる秘訣を教えられた言葉 分かりやすくて詳しく分かる仏教用語集

人気の四字熟語で1位にもなっている「因果応報」は仏教の言葉です。悪いことをした報いで苦しんでいる人に「因果応報だ」などと使われますが、実は人生を幸せに生きる秘訣が教えられている言葉なのです。

因果応報とは

日常生活でもよく耳にする「因果応報」という言葉は、仏教の教えを表す言葉です。
一般には、人を騙したり、嘘をついたり、不正をした結果、それが発覚して、処罰を受けるようなことがあると、「因果応報だ」などと使われたりしています。「苦しんでいるのは、自分のやった悪い行いのせいだ」という意味で用いられる場合が多いのですが、本来は、悪い結果に限らず、善い結果も「因果応報」です。

善いのも悪いのも、自分が受ける結果のすべては、自分が作るのだよ、ということを教えられているのが「因果応報」の本当の意味なのです。
これが正しく分かれば、毎日の行動に確実に変化が現れ、苦しみの人生も、明るく楽しい人生に好転すること間違いありません。今回は、「因果応報」を正しく理解するためのポイントをお伝えしましょう。

因果応報の「因果」とは

「因果」とは、「原因」と「結果」のことで、「どんな結果にも必ず原因があり、原因なしに起きる結果は一つもない」ということです。
事故を報じるニュースで、必ずといっていいほど、「事故の原因を詳しく調査しています」とアナウンサーが語るのも、どんな結果にも、必ず原因があるのが大前提だからです。

ただ、原因が“分からない”ことはあります。例えば、飛行機が墜落して、海底深く沈み、機体を引き上げられない場合は、事故原因を知るのは難しいでしょう。しかしそれは原因が“ない”のではありません。エンジントラブルや機長の操縦ミスなど、必ず何らかの「原因」があって、墜落という「結果」が起きたのです。

大事故ばかりではなく、「携帯電話を紛失した」「段差につまづいて転んだ」など、日常のどんな些細な結果にも、必ず、それ相当の原因があります。「東京駅のホームで、20年ぶりに幼なじみとバッタリ出会った」というような「偶然」と思えることでも、原因がないのではありません。自分では分からないだけで、すべての出来事には原因があり、そういう意味では「必然」だということです。

科学における「因果」

「原因」と「結果」を徹底的に研究し、解明し、発展しているのが科学といえましょう。

「実験結果」という言葉にもハッキリ出ているように、実験によって出た「結果」から、その「原因」を探ります。
「原因」とおぼしきものを発見すると、今度は、それが「原因」で同じ「結果」が生じるか、実験します。
同じ結果が生じれば、それが原因だった可能性は高まりますし、もし同じ結果が生じなければ、別の原因を見つけようとあらたな実験がおこなわれていく。

科学的というのは、因果関係がスッキリして理論的、ということになりましょう。

医学における「因果」

医学も深く「因果」に関わっています。
病状という「結果」から、その「原因」を探ります。
一口に「お腹が痛い」といっても、その原因が「ガン」なのか、「盲腸」なのか、「打撲」なのか、たんなる「空腹」なのか、正しい原因が分からなければ、治療しようがありません。

難病となると、その原因解明が困難を極めますし、原因が分かっても、どうすればその原因を取り除き、健康という結果をもたらすことができるのか研究が続けられます。

病状という結果から原因を探る。
原因が分かれば、その悪い原因をなくし、健康体という結果をもたらす。

シンプルに見れば、医学とは、このような因果によってなされているといえましょう。

経済における「因果」

経済も「因果」が大きな問題になります。
「株価暴落」となれば、急ぎその原因が究明され、回復させるにはどうすべきか議論がなされます。

「不景気」という結果に対して、その原因を仮説としてたて、国をあげて景気回復という結果を目指して、様々な施策がなされます。
逆に、国が介入することが景気が回復しない原因だという説もあります。

どちらにしても、不況の原因は何か、どうすれば景気回復という結果をもたらすことができるかを論じているのです。

その他、スポーツで記録を伸ばすときも、政治がなされるのも、「こうしたら、こうなる」という「原因と結果」が常に論じられていることがお分かりになられるでしょう。

因果応報の「応報」とは

次に、「応報」とは、「原因」に応じた「報い(結果)」が現れる、ということです。

植物における「因果応報」

野菜を育てることで例えてみましょう。
カボチャのタネを蒔いたら、カボチャが出てきます。大根のタネを蒔けば、大根が出てきます。カボチャのタネから大根が出てきたり、大根のタネからカボチャが出てくることは絶対にありません。
同じように、原因に応じた結果しか現れないと教えるのが仏教の「因果応報」の教えです。

「そんなの当たり前じゃん!」と思われるかもしれませんが、これは一切の例外を認めません。
ですから、私たちの幸福や不幸という「結果」にも、それに応じた「原因」が必ずあるということなのです。

人間における「因果応報」

では、私たちの幸福や不幸という「運命」を決める「原因」は、一体何でしょうか。
仏教を説かれたお釈迦様は、それは、私たち自身の「行い」だと教えられています。自分のやった「行い」が自分の「運命」を作るのです。

例えば、受験生は、勉強することなしに大学に合格することはありません。大学合格の「結果」は、受験生自身の「勉強」という行為が生み出すものです。
お酒を飲みすぎて、翌朝、二日酔いで頭がガンガンするのは、飲みすぎた自分の行為が作り出した結果に違いありません。
このように、私たちの身に起きる結果のすべては、自分のやった行為が生み出したものなのです。

次に、行い(原因)と運命(結果)には、どんな関係があるのでしょうか。
これについてお釈迦様は、「善い行い」は「善い結果(幸せな運命)」を生み出し、「悪い行い」は「悪い結果(不幸や災難)」を引き起こす、と教えられています。
これを「善因善果、悪因悪果」といいます。

あくまでも、「行い」に、“応じて”、「運命」は、決まりますから、「善い行い」から「悪い運命」が現れることもなければ、「悪い行い」から「善い運命」が現れることも、ありません。一見すると、「いやあ、正直者がバカを見ることもあるから、例外もあるんじゃないの?」と思えることでも、長期的に見れば、すべて「善因善果」「悪因悪果」にしかならないのです。

因果応報は不幸な時に限定されません。幸せも因果応報です

一般に、「因果応報」という言葉は、悪事を重ねて事業に失敗した時などに使われますが、「因(行い)」には、「悪い行い」だけでなく、「善い行い」もありますので、「善い結果」が現れた時も、「因果応報」といえるのです。「飽くなき研究心で、実験を何千回も繰り返し、ついにノーベル賞を受賞した」とか、「社会復帰するためにリハビリを続け、再び歩けるようになった」など、「善い行い」によって「善い結果」が現れた時も、「因果応報」です。

善い運命も悪い運命も、すべて、「自分の行い」に応じて現れた結果であることが分かれば、むやみに人を恨んだり憎んだりすることは、なくなります。

そして、幸せになりたければ、「自分の行い」を変えればいいこともハッキリしますので、自分自身の種まきに、心が向くようになるのです。そうなれば、毎日の行動が変わり、人生も着実に変わっていくでしょう。

時間差に見る「因果応報」

植物の場合の因果応報の時間差

最後に「結果が起きるのには時間差がある」ということについてお話しいたしましょう。

まず植物で考えてみると、結果が現れるのに時間差があることがお分かりになられると思います。

例えば、モミダネ(原因)は年内に(結果)となり、実りの秋に刈り取ります。

は地域によって差がありますが、9月~12月の間にタネ(原因)をまき、6月~8月に収穫(結果)となります。年内ではなく、年をまたぐのですね。

桃栗3年・柿8年」といわれるように、桃や栗はタネ(原因)をまいてから3年で実り(結果)、柿はタネ(原因)をまいてから約8年(実際は、6、7年といわれる)と、米や麦に比べて結果が現れるまで時間がかかります。

人間の場合の因果応報の時間差

私たち人間の場合でもまいた種(行為)が結果を生みだすまでに時間差があります。

もちろんスグ結果が現れる場合もあります。
どなったら、どなり返されたとか、殴ったら、殴り返された。
褒めたら、褒め返してもらえた、挨拶をしたら挨拶が返ってきた、など。

しかし、大分時間がかかって結果が現れる場合があります。

地震によって建物が倒れ、何年も前の手抜き工事が発覚したとか、万引き常習犯が、10回目にして捕まるとか、弁護士を目指して勉強し、3回目でやっと司法試験に合格した、などです。

時間に遅い早いはありますが、まいた種はかならず生えます。
他人が見ている、見ていないも関係ありませんから、このことを理解し、善い種まきに努めるようにし、悪い種まきはしないよう心掛けていきましょう。

【まとめ】因果応報

  • 偶然はない。すべては必然
  • 「私の行い」に応じて「私の運命」が決まる
  • 不幸も幸福も「因果応報」
  • 遅い早いの違いはあっても「まいた種は必ず生える」

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