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体験談

自殺してはならぬ理由

「みんなにでくの棒と呼ばれ

  誉められもせず

  苦にもされず

  そういう者に私はなりたい」

 

宮沢賢治の詩(雨ニモマケズ)の一節です。初めて読んだのは、小学5 年生の時でした。

童話作家、詩人、農業指導者、そして仏法者としての賢治の生き方に引かれ、いつの間にか、「そういう者に私もなりたい」と思いました。

それで、大学は農学部へ進み、地元で農業教員となったのです。

 

教員生活は順調でしたが、50歳前後から、寂しく不安な心にさいなまれるようになりました。授業をしていても、「生徒もきっと、つまらないんだろうな」と自己嫌悪に陥り、新年度になると、何とか回復するという状態を数年繰り返していました。

そんな4年前、大学生の長男が、バイクの事故で意識不明になったのです。医師に、

「この一週間が山だ」

と言われ、妻は付きっきりで看病、私は仕事と家事と病院通いで、心身ともにクタクタに疲れ果てました。

「ああ、死にたい」

 長男は幸いにも快復し、退院しましたが、ホッとした途端に、私の気力がすっかり抜けてしまい、何にもヤル気が起きず、体が動きません。心はどんどん鬱になり、何をしていても真っ暗で苦しくて身の置きどころがない。

絶対に自殺はしてはいけないと思いながら、トイレで、「ああ、死にたい」とつぶやいている。医者に行くと、すぐ入院となってしまったのです。

 

何度か入退院を繰り返したあと、ようやく動き回れるようになりました。自宅療養の合間に、病の治療になればと、百観音の巡礼をしていた、一昨年の春、「親鸞聖人に学ぶ」というチラシを見て、講演会に参加しました。

目的地を知らない飛行機は、墜落あるのみです。人生には、生きている時に達成できる大切な目的があるのですよ

という講師の言葉に、「本当にそうだ」と納得しました。

“なぜ生きるか“に、若い時から関心があったからです。

 

 半年後、2000畳の報恩講に初めて参詣し、立派な正本堂はもとより、高森先生の熱のこもった説法と、聞法しているの皆さんの真剣さに打たれました。

 それからは、地元での親鸞会の講演会に参加するようになったのです。

宮沢賢治も知りえぬ世界

ただ、宮沢賢治を人生の師としてきた私にとって、疑問が一つありました。彼は、浄土真宗の家に生まれ、父親が主催する法話にも出ていながら、なぜ『法華経』に帰依したのか。

賢治の作品を改めて読んでみますと、『よだかの星』では、多くの虫の命を奪う罪深さを知らされたよだか(鳥)が、「天国に連れていってください」と太陽や星にお願いするが、力及ばず死んでしまいます。『銀河鉄道の夜』は、「死んだらどこに行くか」が分からぬ迷いの旅が描かれています。結局、賢治菩薩といわれたほどの彼も、本当の仏教を教える師には会えなかったのです。

一昨年12月、2000畳で、中国の高僧、善導大師のつくられた「二河白道の譬え」(人生の目的達成までの道程をたとえた話)を教えていただき、「私の助かる道はこれしかない」と、親鸞学徒にならせていただきました。

 聞法を始めて一年、心の病は遠ざかっていきました。私には、賢治も知りえなかった生きる目的が分かったのです。

心に大きな明かりがともされました。

 

教員になったのも、長男が大事故で九死に一生を得たのも、病で苦しんだのも、今となっては、すべて阿弥陀如来のご方便としか思えません。

“若不生者の誓い”(弥陀の誓願)を知らされた私の夢は変わりました。「そういう者になりたい」ではなく、「信楽まことに時至り、往生必ず定まる、そういう身に必ずならせていただける」のです。

光に向かって、人生を歩ませていただきたく思います。

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