小学生の時、母は逝った…… 母の歳になった今、思うこと
親を亡くすのは、誰にとっても悲しいものです。まして、幼い時に親と死に別れたら、なおさらでしょう。「大人になって、母が亡くなってからだいぶん経つのに、悲しみが波のように、ふいに襲ってくるんです」と話す人も少なくありません。
富山県の斉藤裕美さんも、そんな1人でした。しかし、小学生2人の母となった今は、その悲しみを乗り越える大きな光を得ていると言います。それはどんなことなのか、語ってもらいました。
30年前の初夏、小学校から帰宅した私を、母はいつものように笑顔で、
「おかえり」
と迎え入れてくれました。
反抗期の入り口にいた私は、これまた、いつものように、
「ただいま」
と一言だけ返し、2階にある自分の部屋へと一直線に駆け上がりました。
その時の私は知らなかったのです。これが今生の、母との最後の会話になることを。
真夜中の救急搬送
その日、母は私たちの夕食の支度を済ませ、寄り合いに出かけていきました。その後、母と再び顔を合わせることなく、私は眠りについたのです。
ところが真夜中、ざわつく声に目を覚ますと、そこには意識を失った母と、懸命に心臓マッサージを繰り返す父の姿がありました。
救急車で母は病院に搬送され、それを追って、タクシーで駆けつけた時、母の口には、酸素マスクが付けられ、心電図モニターが装着されていました。
私は祈るような気持ちで、意識のない母の手を握りしめました。それから、どのくらい経ったでしょうか、2つ上の姉の、
「もう、終わったよ……」
という声に我に返った時、心電図モニターは既に外されていました。母は夜明けを待つことなく、40歳の誕生日を目前に、息を引き取ったのです。
急性心不全でした。力が抜けきった母の重たい手の感触は、30年経った今でもハッキリ覚えています。
「なんで私にはお母さんがいないの?」
あまりにも突然の無常は、まだ9歳だった私には、到底受け入れられるものではありませんでした。
テレビを付けても、母と子が仲睦まじく過ごしている様子が映り、辛くてチャンネルを変えても、やはり一家団欒のシーンが目に入ってきます。
運動会の親子競技や授業参観、母の日などには、
「友達には当たり前にいるお母さんが、なんで私にはいないの……?」
と、いつも心の中で叫んでいました。
自宅には、大人6人が座れるダイニングテーブルがありました。母が亡くなった時、3歳だった弟は当時、子供用のイスを使っていましたが、成長して大人用のイスを使うようになると、祖父母と父、姉、私と弟の6人でちょうどテーブルの席が埋まりました。母が座っていた席がなくなって、まるで最初から存在しなかったように見え、大変なショックを受けました。
「人が死ぬって、忘れ去られてしまうことなの……?」
日中、元気にしていても、一息切れたら、一瞬で終わってしまう……。いつどうなるか分からないのが人生なんだと思うと、何とも説明しがたい、モヤモヤとした気持ちが心を覆いました。
忙しさで心を紛らわす日々
小学生の時は、友人は皆、私が母を亡くしたことを知っていたので、私の前で、母親の話をするのを避けてくれました。しかし、中学や高校の友人は知らないので、ふとした拍子に母親の話題を出してきます。その都度、すでに母が他界していることを説明するのは、とても辛いことでした。
母を恋しく想う気持ちは、中学、高校と進むにつれてコンプレックスへと変わり、「人はいつ死ぬか分からない」という得体の知れない不安をごまかしながら、周りから「可哀想な子だ」と思われたくなくて、いつも明るく元気に振る舞い、家族にも友達にも決して本心を見せないようにしていました。
放課後は部活動で、管弦楽の打楽器演奏に打ち込み、土日は友人と遊んだり、アルバイトもしました。忙しくしていないと、心が崩れてしまいそうで、何かで時間を埋めずにはいられなかったのです。
「私が探し求めていたのは、これだ!」
そんな私が、進学した県外の大学で、親鸞聖人の教えに出遇うことができたのです。
先輩から紹介された1冊の本──『なぜ生きる』。早速、ページをめくって目に飛び込んできた1部1章のタイトルは、
「幸せはいとも簡単に崩れ去る」
でした。続けて、読み進めると……。
「出ていって!」
二階から駆けおりるなり、父をたたきながら叫んだ母の声は、今も耳の底から離れない。立ちすくむ私の目の前を無言で通り過ぎた父は、二度と家には戻りませんでした。小学生だった私が離婚という言葉を知り、悲しい事態を理解したのは数カ月たってからのことです。涙に映っていたものは、なんの前ぶれもなく、幸せがいとも簡単に崩れ去るという現実でした。
どんなに堅固そうな幸福にも、破局があるのではなかろうか。いつ何がおきるか分からない、そんな不安定な人生に、どんな意味があるのだろうか。
ひとは、なんのために生きるのか。平凡な生活のまどろみが破られ、愕然とさせられたとき、この問いに真剣な解答が迫られます。
(引用:『なぜ生きる』1万年堂出版)
この著者は、父親が突然、いなくなってしまったことに衝撃を受けているけれども、私も同じだ。
母は、なんの前触れもなく、私の前から姿を消してしまったのだから。本当に、どんなに堅固そうな幸福にも破局がある。そんな不安定な人生に、どんな意味があるのか。これこそ、私が探し求めてきたことではないか……!
心の奥底が剥き出しの言葉で暴かれていくような衝撃でした。こんなすごい本を出された先生が、生まれ育った富山におられたとは、全く知りませんでした。
そして、
「一切の滅びる中に、滅びざる幸福こそ、私たちすべての願いであり人生の目的なのです」
この1行に、求めていた答えがすべて収まっていると確信し、親鸞聖人の教えを続けて聞かせていただくようになったのです。
子供たちにも真の幸福を
やがて縁あって結婚し、私も、ちょうど母の歳になりました。
小学生になった2人の子供たちにも、生きる意味を伝えたいと、仏教のお歌を散りばめたカルタを作って、一緒に遊んでいます。
「どんなに苦しくても、あきらめないで!あなたはやがて大きな幸せに恵まれるのですよ」
『歎異抄』に込められたこの親鸞聖人のメッセージが、子供たちの心にもしっかり届く日を夢見ながら、永遠に滅びない大きな幸せに向かって、今、私は喜びいっぱい生きています。
幼くして母親を亡くした斉藤さんの心を、幸せに向かって大きく転換させたのは、親鸞聖人のみ教えでした。
それは、どんな教えなのか。あなたも聞いてみられませんか。