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「若いのに死が怖いと思う私は、おかしいの?」幼い頃から死について悩んだ女性の体験

「若いのに、死について悩んでいる自分はおかしいんじゃないだろうか」。こう思っている人がありますが、決して、おかしなことではありません。福岡県の青山小百合さん(24)も小学生の頃から死が怖くてしかたありませんでした。しかし今は、その深い悩みに答えを見いだし、充実した毎日を送っています。青山さんに何があったのか、聞いてみました。

高齢になって後生を身近に感じ、死について考える方はよくあります。

一方、若くても、死について考えずにいられず、「私ってちょっと変なのかな……」と悩んでいる人も、少なからずあるようです。

安心してください。

あなたは決して、変なんかじゃありません。

ネット上にも、10代、20代の心の叫びが幾つも書き込まれています。

「死が恐くてたまりません。いずれは誰だって死が来るのは当然ですし、どうやってもあらがえませんが、その定めに涙してしまうことがあります」

「『死』が怖いです。毎日考えてしまいます。死んだらどうなっちゃうのですか?こんなことを考えている私は、精神的に病んでいるのでしょうか」

こんなふうに感じられる方は、若くてもあるのです。

親しい人を亡くした経験がある方なら、なおさら、考えずにおれないでしょう。

福岡県の青山小百合さん(24)も、小学生の頃から死が怖くてしかたありませんでした。

しかし、今では、その深い悩みに答えを見いだし、心は喜びに満たされているといいます。

一体、何があったのか。

心の道程を語ってもらいました。

「明日になったら、自分もこの世にいないかもしれない」

私は幼い頃から活発な性格で、小学3年生の時、3つ上の兄の影響で少年野球チームに入りました。

野球をするのは楽しくて、ひたすら練習に打ち込む子供時代でした。

ところが、小学6年の頃、とても怖い夢を見たのです。

それは、自分や知人が死んでしまう夢でした。

それまでは、テレビのニュースで誰かが事故で亡くなったと聞いても、特に驚く心はありませんでした。

しかし、その夢を見て以来、誰かが亡くなったと聞くとショックで、その場から動けなくなることもありました。

「自分も同じように死んでしまうのか」

「明日になったら、自分もこの世にいないかもしれない」

と思うようになったのです。

それでも中学、高校と進学し、部活動に打ち込んでいるうちに、そんな思いが薄れていた高校1年のある日、突然、同じ学校の2年生が自殺したことを知りました。

その人とは話したこともなく、顔も知らなかったのですが、今まで「ニュースで聞く出来事」だと思っていた「死」が、とても身近に感じられました。

それから、夜も眠れないような恐怖が1週間ぐらい続きました。

必ず終わりが来る人生、どう生きればいいの?

高校3年の時には、さらに衝撃的な出来事が起きました。

卒業式を2日後に控えた日、学校に着くとすぐ、担任の先生から呼び出され、告げられました。

「さっき保護者の方から連絡があってね。あなたのおじいさんが亡くなられたそうだよ」

私は一瞬、先生が何を言われたのか分かりませんでした。

「え?おじいさんって、長崎の祖父のこと?1カ月前に会った時は、あんなに元気だったのに、なんで?」

長崎の祖父の家には、夏休みと冬休みには毎年のように、1週間ほど泊まって過ごしていました。

その年の正月も、一緒に過ごしたばかりです。

いつも早起きの祖父が起きてこなかった日が1日あった以外は、特に変わったことはありませんでした。

祖父は現役時代は、路線バスの運転手でした。小学校低学年の頃は一緒にお風呂にも入りました。

「ワシは戦争を経験したから、大変だった。おまえは、しっかり勉強して楽しい人生を送りなさい」

と、よく言い聞かせてくれた、生真面目で優しい人でした。

「おじいさんが、もうこの世にいないなんて……」

とても信じられない知らせに頭の中は混乱したまま、家へと向かいました。

家に帰り着くまで「何かの間違いであってほしい」と願っていましたが、祖父が亡くなったのは間違いではありませんでした。

家に着くと、母と、中学校から帰ってきた妹がいました。

母は私を見て静かに「お帰り」と言い、それから何も話しませんでした。

妹はずっと泣いていました。

父が仕事を早退して帰宅し、兄が大学の寮から急いで帰ってくると、祖父母の住まいのある長崎へと家族で向かいました。

葬儀場に到着し、冷たく横たわる祖父の姿に、涙が止まりませんでした。

祖父の死因は、急性心筋梗塞でした。

亡くなる1週間前に定期検査を受けた時には何も問題が無かったのに、その日の朝早く、急に胸が苦しくなって目が覚め、容体が悪化し、数時間後には帰らぬ人となってしまったのです。

83歳でした。

それを祖母から聞いて、私は、「人間って、こんなにもあっけなく死んでしまうのか。大切な家族も友達も、もちろん自分も、いつかこの世からいなくなってしまう。いつか終わりが来るこの人生を、一体、どう生きていけばいいのだろう?」と考えずにはおれませんでした。

弥陀の浄土で再会できる

その後、大学時代を経て、就職しました。

社会人1年目の6月のある日、同じ職場の先輩に誘われて、福岡市博多の映画館へ、映画を見に行く機会がありました。

それは、親鸞聖人の映画でした。仏教の教えなど何も知らない私でしたが、映画を通して、親鸞聖人と唯円の生きざまがよく分かり、心引かれるものがありました。

それから、その先輩から仏教の勉強会にも誘われて、たびたび参加するようになり、少しずつ教えを学ぶようになったのです。

うれしかったのは、「阿弥陀仏の本願に救い摂られた人は、浄土で再会できる」と聞かせていただいたことです。

「仏法を聞き求めていけば、おじいさんとも、また、会えるようになれるんだ」と思いました。

また、その勉強会に参加している皆さんは、とても温かく、親切な人ばかりで、そんな人たちと会えることも喜びでした。

続けてお聞きするうちに、「必ず死ぬのに、なぜ生きる?」という幼い頃からの疑問の答えは、仏法を聞いて、苦悩の根元を破り、“なんと生きるとは素晴らしいことなのか”という生命の大歓喜を獲て、永遠の幸福に生かされることだと分かるようになったのです。

そのうえ、生涯をともにする伴侶まで、そこで得ることができました。

その映画に誘ってくれた職場の先輩と結婚し、夫婦仲良く、仏法を聞いています。

仏語やお聖教(経典や親鸞聖人などの著作)の勉強も少しずつ頑張っています。

親鸞聖人の映画を最初に見た時には、意味がよく分からないこともたくさんありましたが、繰り返し映画を拝見し、そしてお聖教を学べば学ぶほど、映画のセリフの一つ一つが教えの根拠に基づいていて、深い意味が込められていると感じられるようにもなりました。

生きるべき方角をハッキリ知らされ、毎日がとても充実しています。

■ ■ ■

青山さんと同じように、死について悩んでいるあなたの心にも、きっと光がさすこと、請け合いです。関心を持たれた方は、ぜひ以下の小冊子『死別の悲しみを乗り越える7つの方法』(ネット上で読めるPDF形式)を読んでみてください。

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