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夫を亡くした悲しみから立ち直った女性の体験|独り泣き暮らした心が大転換「今がいちばん幸せです」

誰もが、会った人とは必ず別れねばならないと知ってはいても、いざ別れの時がくると、突然としか思えず、深い悲しみに襲われます。それが、永年連れ添った伴侶となれば、なおさらでしょう。石川県の西島恵子さん(77)も50年、苦楽をともにした夫と死別し、深い悲しみに沈んでいました。しかし、今では、それを乗り越え、明るく元気に生きています。何があったか、西島さんに語ってもらいました。

「会者定離 ありとはかねて聞きしかど
   昨日今日とは 思わざりけり」(親鸞聖人)

出会った者は必ず離れる定めにあると聞いてはいましたが、
昨日や今日、その日が来るとは思っていませんでした──。

かつて親鸞聖人が、こう歌われたように、誰もが、会った人とは必ず別れねばならないと知ってはいても、いざ別れの時がくると、突然としか思えず、深い悲しみに襲われます。それが、永年連れ添った伴侶となれば、なおさらでしょう。

「主人を亡くして、1年が過ぎました。
まだ、苦しくなり、辛くなり、涙が止まらない時があります」

「すぐ傍にいたのに……助けてあげれなくて、悔しくて情けなくて……身体中の水分が涙で出てしまうかと思うぐらい泣いていました」

「辛いです、泣いても泣いても毎日泣かない日はありません、7年半泣いてこれからも泣くでしょう」

これらは実際に、伴侶を亡くされた方の生の声です。

石川県の西島恵子さん(77)も50年、苦楽をともにした夫と死別し、深い悲しみに沈んでいました。しかし、今では、それを乗り越え、明るく元気に生きています。何があったか、西島さんに語ってもらいました。

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「一切の書物を焼失しても、歎異抄が残れば我慢できる」。石川県の哲学者・西田幾多郎の言葉です。その西田幾多郎の生まれた隣村に、私は昭和18年、7人兄弟の末っ子として、浄土真宗の家に生まれました。当時は戦争の真っただ中。敗戦の年、富山が空襲に襲われ、家から東の空を眺めると、真っ赤に燃えていたのを、今でも鮮明に覚えています。

そして同じ年に、母を亡くしました。2歳の頃でした。姉の結婚祝いに、母が赤飯の支度をしていた時、不慮のことで深い火傷を負い、亡くなったと聞きました。その後、父の手一つで育てられました。父は信仰厚く、毎朝晩、『阿弥陀経』と親鸞聖人の書かれた『正信偈』、蓮如上人の『御文章』を読んでいました。私は後ろに座っていましたが、意味はさっぱり分かりませんでした。その後、18歳で嫁ぐことになったのです。

主人は穏やかで、私の言うことを「そうか、そうか」と聞いてくれる人でした。腹を立てることも、ケンカすることもありませんでした。土木の仕事に従事し、ゴルフ場の芝生を張り替えたり、時には、命綱をつけて崩れた斜面に草花の種を植えるなど、危険な労働にも耐えて、家族を養ってくれました。車が好きで、休みの日には、よくドライブに連れて行ってくれたものです。

自分が携わって、美しく仕上がった自然豊かな広場を見せてくれたり、子供が生まれてからは、遊園地に行ったりと、家族思いの人でした。4人の子供に恵まれ、私は子育てに没頭しました。幼少期が寂しかった分、子供たちには寂しい思いをさせたくない、と一生懸命でした。

それから、あっという間に時は流れ、連れ添って50年ほど経った頃、主人が、好きなお酒もタバコも、パッタリ飲まなくなったのです。「おかしいな……」と思っていたら、胃がんと分かりました。抗がん剤を投与し、入退院を繰り返すうち、どんどん衰えていきました。

ある年の瀬、主人が「どうしても自宅に帰りたい」と言うので、迎えにいくと、ベッドの上で、にこにこ顔で待っていました。最後は自宅で過ごしたかったのでしょう。しかし、帰宅した2日後に倒れてしまいました。すぐに病院に運ばれましたが、2時間後、あっという間に帰らぬ人となりました。70歳でした。

それからというもの、言いようのない寂しさに襲われました。畑仕事も一人、食事をするのも一人、話をする相手もありません。胸にぽっかりと空いた穴を埋め合わせようと、毎日ラジオを聞くようになりました。すると、親鸞聖人のお言葉が耳に聞こえてきたのです。

〈人はなんのために生まれ、生きているのだろうか。なぜ苦しくても自殺してはならぬのか。「人生の目的」は何か。親鸞聖人の答えは、ゆるぎなき確信と勇気を持って、簡潔であざやかである。「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船がある。その船に乗り、未来永遠の幸福に生きるためである」〉

と……。とても懐かしい感じがしました。心に染み入るお話で、お聞きするうち、「これまで忙しくて、『なぜ生きる』など考えることなく過ごしてきたけれど、大事なことだなぁ」と思うようになったのです。毎週の親鸞聖人のお話が、楽しみになっていきました。

そんな昨年の夏、1人の優しい男性が自宅に訪れたのです。仏教講座の案内に来られた親鸞会の人でした。その日は都合が合わず、断ったのですが、その後も、たびたび私の家まで足を運んで案内してくれたのです。やっと時間ができたある日、講座に参加してみると、ずっと知りたかった『正信偈』のお話でした。

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
(無量寿如来に帰命いたしました。不可思議光に南無いたしました)

「無量寿如来」も「不可思議光」も、「阿弥陀如来(阿弥陀仏)」という仏さまのことで、『正信偈』冒頭の2行は、「親鸞は、阿弥陀如来のお力によって救われたぞ、助けられたぞ」と、現在ただ今、救われた喜びを書かれているのだと初めて知りました。

しかも、この阿弥陀如来という仏さまは、大宇宙にガンジス河の砂の数ほどいる仏さまの先生の仏だと言われるではありませんか。世界一の偉人といわれるお釈迦さまの、そのまた上に、先生の仏さまがおられたとは、驚きでした。さらには、その大宇宙の先生の、阿弥陀仏のお力によって、この私も、未来永遠の幸福になれるのだと聞きました。

講師の話はそれは分かりやすく、
「父のあげていた『正信偈』には、こんな深い意味があったのか!」
と感動で、続けて聞かずにおれなくなっていったのです。
また、そこに集まっている皆さんは、温かい方ばかりで、昨秋、私も仲間入りをさせていただきました。お釈迦さまが、大宇宙一の宝だと説かれているという、南無阿弥陀仏の御名号を拝受させていただいた時、不思議と熱いものがこみあげて、涙があふれました。本当の阿弥陀さまをお迎えできたことがうれしく、亡くなった父も母も夫も、きっと喜んでくれていると感じられてならなかったのです。

浄土真宗の家に生まれながら、全く教えが分かっておりませんでしたが、これから学んでいけるんだと本当にうれしく思いました。阿弥陀仏、仏教の先生方、そして、温かく接してくださる皆さんのおかげです。親鸞聖人のお言葉の意味が知りたくて、聞法する毎日が楽しく、寂しい心はどこへやら、今がいちばん幸せです。

父が親しんでいた『正信偈』の御心をお聞きでき、有名な『歎異抄』の本当の意味も学ばせていただけるようになりました。皆さんに励まされ、聞法できる毎日が、本当に幸せです。

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深い悲しみに沈んだ心が、「今がいちばん幸せ」と言われるほど、西島さんを大変わりさせた仏法を、あなたも聞いてみませんか。

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