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体験談

私は『正信偈』で救われた。これだけはハッキリ言えます

50歳の秋、脳出血で倒れ、左脳を損傷し、言語障害と診断された東森彰さん(65歳=仮名)は、突然、聞くことも話すことも書くことも読むこともできなくなりました。「言葉」で自分の気持ちを整理することも、ましてや「言葉」を発して思いを表現することも叶わなくなったのです。そんな深い孤独に陥った東森さんでしたが、奇跡と思われるほどの劇的回復を果たしました。再び笑顔を取り戻すまでに、どんなドラマがあったのか、お聞きしました。

医師の宣告「言語障害は一生治らないし、計算もできない」

15年前の10月、東森さんは、祭りの準備で、早朝5時半から近所の人と町内の掃除をしていました。その時、徐々に意識が遠のいていき、目覚めた時には、ベッドの上でした。両手両足を縛られた状態で、自分がどこにいるのかも分かりませんでした。しかし、分からないのは、それだけではありません。自分の名前も、見舞いに駆けつけた家族の名前も、分からなくなっていたのです。

まもなく、病院でテストが始まりました。「『あい○えお』の空欄を埋めよ」の問いに、答えられない。五十音の、ひらがなもカタカナも、理解できない。子供向けのマンガを見ても、「あなたは」「きみは」のセリフの意味が分からない。

リハビリは、「やま」「かわ」など、2文字の名詞を、繰り返し、声に出して覚えることから始まりました。それに慣れてきたら、次は3字の、「トマト」「リンゴ」などに挑戦。それから、4字、5字と、少しずつ長い単語を覚えるように進められました。

倒れてから数カ月たった頃、担当の医師より、左脳が機能を失ったこと、言語障害は一生治らず、計算もできないことを宣告されました。

「ようやく、リハビリに前向きに取り組もうと思い始めていた時だったのに、未来に希望がないことを断言されて、どんな生き甲斐をもって生きていけるというのでしょう。確かに、『2+2=4』も『2×2=4』も理解できなかったし、テレビのニュースを見ていても、言葉の響きを感じるだけで、分からないことばかりでした。
 医師や看護師、家族が、自分に向かって話しかけているのに、意味が分からないんです。自分の気持ちを伝えたくても、言うべき言葉が分からず、出てこない。だから、すごい孤独ですよ。風邪と違って、治らないんです。生きているのがイヤになり、死んでしまおうかと何度も迷いました。子供たちがいなかったら、死んでおったかもしれません」。

かつては建築関係の会社に勤務し、400人ほどを前に話をする機会もあったのですが、発病してからは、人と話すのが怖くなり、退院後は家に籠もりがちで、リハビリも、半ば投げやりになっていました。

『正信偈』を読んで再起をかけたリハビリ

そんな東森さんが再起をかけて、リハビリの猛訓練を決意した、きっかけがありました。自分のウワサ話が、耳に入ってきたのです。

「いちばんの親友だと思っていた人が、『あいつは、もうダメや』と、私の悪口を言い触らしていると聞いたんです。ショックでしたよ。悔しくて悔しくて、“常識では治らんところを超えていくぞ!”と奮起したんです」

病院でのリハビリに加え、カラオケや民謡、詩吟などに取り組んでみましたが、言語回復の効果はいま一つ。もっといい方法はないかと探し、思いついたのが、祖母がいつも読んでいた「仏教の本」を読んでみることでした。それは『正信偈(しょうしんげ)』と呼ばれるものでした。

お仏壇の中から、古びた『正信偈』の本を取り出し、最初のページを開いて読んでみる。
「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)南無不可思議光(なむふかしぎこう)」。
どこか懐かしく感じられ、親しみを覚えました。

『正信偈』は、最初から最後まで漢字ばかりで、全部で840字から成り立っています。
初めて知る漢字ばかりでしたが、毎日欠かさず1時間、読む練習を重ねました。

「つっかえ、つっかえで、なかなか、流れるように読めず、あきらめそうにもなりましたが、『正信偈』だけは、なんとしても死ぬまで続けるという気持ちが、どこからともなく湧いてきました」。

そして2年ほど続けるうちに、『正信偈』は全て覚えて、スラスラ読めるようになり、日常会話も、スムーズにこなせるようになったのです。

『正信偈』によって私は救われました

定期検診で通院したある日、廊下で、すれ違いざま、かつてのリハビリの先生に肩を叩かれました。振り向いて笑顔で挨拶すると、
「東森さん、変わったね。明るくなった。どうしてそんなにしゃべれるようになったの?」
と尋ねられました。

「『正信偈』のおかげです」
と即答。

そんな折、新聞折込チラシの「『正信偈』仏教講座」の文字が目に留まる。

「考えてみたら、『正信偈』は覚えたけれど、何のことか、意味が分からないまま、ただ読んでいるだけだな」
と思い、石川県七尾市の会場に足を運びました。2、3回聞けば分かると気楽に構えていたのですが、いざ参加してみると、
「『正信偈』の1字1字に深い意味があることが分かってきました。特に最初の2行“帰命無量寿如来 南無不可思議光”は、幼い頃から耳にしていましたが、「無量寿如来」も「不可思議光」も、阿弥陀如来という仏の別名だったとは、知りませんでした。また、“死んだらお助け” “死んだら極楽” というのは間違いで、生きている今、本当の幸せになれることを、親鸞聖人が教えられているのだと分かり、感動しました」。

東森さんは、『正信偈』の専用ノートを作り、840字を丁寧な文字で書き連ね、「支えてくれた家族にも伝えたい」と張り切りながら続けて大切に学んでいます。

「こんなに会話ができるようになって本当にうれしい。『正信偈』によって救われたようなものです。最初はできないと言われていた、足し算、引き算、掛け算などの計算もできるようになりました。過去のものを少しずつ取り戻していく感じでしょうか。時間はかかるけれど、幅広く頑張りたい。絵画や筆ペンも始めました。こんなふうに、生きることに前向きになれたのは、やっぱり『正信偈』のおかげですね。私は『正信偈』で救われた。これだけはハッキリ言えます」

今の心境をこのように語られた東森さんの笑顔はとても輝いていました。

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