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伴侶を亡くした悲しみに沈むあなたへ 死別の悲しみを乗り越える5つの方法

福井県の松重貞夫さんは、80歳すぎに、50年連れ添った奥さんに先立たれてしまいました。悲しみに暮れる中、妻の死を縁に大きな光を見い出したそうです。93歳の今なお、活力あふれる人生を歩んでいる理由とは?

伴侶を亡くす悲しみの深さ

「伴侶を失うことがこんなに辛いと分かっていたら、
結婚などしませんでした」

知人の男性がぽつり、つぶやきました。
これを読まれているあなたも、もしかすると、同じ心境かもしれません。

「妻は、『妻』というだけでなく、いちばんの『親友』でもありました。
人間関係の9割を失った感じがしています

「妻を亡くした喪失感でいっぱいです。
辛くて、眠れません。妻の笑顔の残像がいつも見えます。
寂しくて、悲しくて……。生きる意味を失いました」

いずれもいずれも、悲しみの深さが伝わってきて、胸を打ちます。

伴侶を亡くしてつらいのは……

伴侶を亡くすと、具体的には、どんなことがつらいのでしょうか。

夫婦仲良く生活していた人なら、一人暮らしになったさびしさが大きいでしょう。

食事時はなおさらです。会話一つなく、一人、黙々と食べ物を口へ運んでも、何か味気ない……。「孤食」にストレスを感じる人は少なくありません。

妻に先立たれた男性には、さらなる試練が圧し掛かります。

今まで妻に任せきりだった、食事の準備・片付け、掃除、洗濯などを自分でやらなければならなくなるからです。

近所とのつきあいも、妻がこなしてきたのなら、それもしなければなりません。

子供たちとのコミュニケーションも、妻がいたから何とかやってきた。これからうまくやっていけるだろうか、と考える男性もあるようです。

55歳以上の男性が配偶者を亡くして半年後の死亡率は、約40%も高くなるとも言われます。自殺率は、女性10倍に対して、男性は66倍も高くなるそうで、妻に先立たれた男性のダメージは非常に大きいといえましょう。

伴侶を亡くした悲しみを乗り越えるための5つの方法

では、そんなつらさ、悲しみを乗り越えるには、どうすればよいのか。専門家の意見を5つにまとめてみました。

(その1)泣きたい時は泣きましょう。

無理に明るく振る舞う必要はありません。悲しいのは、それだけ伴侶を愛していた証拠。泣きたい時は、思いきり泣きましょう。

(その2)誰かに話を聞いてもらいましょう。

悲しい気持ちをためこまず、誰かに聞いてもらいましょう。表現することで、心はだいぶ軽くなるはずです。

(その3)外に出てみましょう。

少し落ち着いたら、外に出掛けてみましょう。近所の集まりに参加するもよし、前からやってみたかった習い事を始めるもよし。なかなかそこまでは……という人は、玄関から出て、日の光を浴びるだけでも違いますよ。

(その4)徐々に回復すると知りましょう。

どんな苦しみ、悲しみも、同じ状態がずーっと続くことはありません。時間とともに、徐々に和らいでいくものです。今、どん底なら、いちばん下なんですから、あとは上がっていくだけ。思いつめないようにしましょう。

上の4つは、一時的に効果を発揮する方法です。5つ目に、最も効果的な、持続する方法をご紹介します。

(その5)悲しみを幸せへのステップに

持続する方法とは、悲しみを幸せへのステップにすることです。
「えっ、何それ?」と思われるかもしれません。
それは、どういうことなのか。実際に、妻を亡くした悲しみを幸せへのステップにした建設会社の元社長、福井県の松重貞夫さん(93)の体験談を紹介しましょう。

伴侶を亡くした私は、悲しみをこう乗り越えた

◆愚痴一つこぼさぬ妻だった

大正14年、私は、山口県の浄土真宗の家に生を受けました。28歳で、すぐ上の兄が営む建設会社に入りました。初めての現場は三重県四日市。大手重工業メーカーの下請けで、輸入第一号の火力発電用ボイラーを建設しました。この仕事に携われたことは、今でも私の誇りです。

妻の美子とは、入社の翌年に見合い結婚しました。美子は、気立てがよく、店屋を開いてもよいと思うほどの料理上手で、私は幸せでした。
しかし、現場は長くても4年ほどで変わり、千葉・愛媛・和歌山と、一家で次々に転居する生活が続いたのです。それでも、愚痴一つこぼさず、家をしっかり支えてくれる妻でした。

昭和41年には、兄の会社から独立して、敦賀の地に「松重工業」を立ち上げました。高速増殖原型炉「もんじゅ」をはじめ、美浜・高浜・大飯(福井県)、志賀(石川県)、浜岡(静岡県)と中日本の主要な原発建設に携わり、川越火力発電所(三重県)を最後に、現場の第一線を退いたのは、73歳の時でした。

◆ようやく手にした妻との時間も……

その後も取引先の自動車会社から声がかかり、80歳までアルバイトに精を出しました。各地へリース車を届ける仕事で、遠くは青森まで12時間、夜通し車を走らせたこともありました。帰りは、行きと違うルートを通って、ゆっくりドライブを楽しんだものです。途中で出会う美しい景色を、一人で見るのはもったいなくて、妻も連れていくようになりました。50年、文句も言わずに支えてくれた感謝の気持ちからです。助手席の妻は、いつも穏やかな笑みを浮かべていましたね。

この頃から、妻の体は目に見えて弱っていきました。やがて軽い認知症が表れ始めると、風呂やトイレなどの介助が必要な状態になっていったのです。

また、ある時間になると、妻は何かに取りつかれたかのように早足で出掛けていきました。行き先は決まって、近所にある娘の家。私が仕事で長く留守にしていた頃の習慣だったようです。

付きっきりの介護は4カ月続き、私は心身ともに疲れ切っていました。しかしこの時ほど妻と一緒にいられた時間はありませんでした。亡くなる少し前には、故郷・山口へ連れていきました。気持ちよさそうに景色を眺めていた顔が、今でも忘れられません。

◆独りになっちゃった……

最期の1カ月ほどは、妻は物を言うこともできなくなってしまいました。それでも毎日、顔を見に病院に通いました。1週間前には、体も動かない状態になりました。もう長くはないと分かってはいたものの、亡くなった時はやはりショックでした。

妻という支えがなくなって、ハッと気づきました。独りになっちゃった。打ち込める仕事もない。これからどうしよう……と。
新調した仏壇のそばに飾った、旅行先での2人の写真。妻の笑顔を眺めつつ、悶々とした気持ちをどうにもできぬまま月日が過ぎていきました。
そして、いつしか、妻への挨拶のつもりで、『正信偈(しょうしんげ)』を拝読するようになったのです。
そういえば実家は浄土真宗だが、今まで仕事に追われて、仏教の「ぶ」の字も頭になかった。これを機に親鸞聖人について学ぼうと、何冊もの本を読み始めた矢先のこと、親鸞聖のお話のチラシに巡り遇ったのです。

当日、1時間前に会場へ着くと、スタッフの若い女性から挨拶を受けました。初対面のはずなのに、笑顔がどこか懐かしい。司会者もハキハキとした好青年で、休憩時間に、知りたかった『正信偈』の意味を分かりやすく話してくれました。そこで手にした仏教の小冊子を開けば、どの本よりも聖人の教えがよく分かります。〝この集まりで、もっと聞きたい〟と、2度3度と足を運ぶようになったのです。

◆「どうしてそんなに元気なの?」

そのうちに、親鸞聖人のみ教えには、最も大事な生きる目的が説かれていると知らされました。親鸞聖人は主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の終わりに、

「心を弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶっち)に樹(た)てよ」

と仰っています。

これは、どういうことなのか。

私たちは何かをあて力にし、頼りにしなければ1日たりとも生きてはいけません。

「これだけお金や財産があれば大丈夫だろう」と思っているのは、金や財産を頼りに生きているのですから、金や財に心を樹てている人です。

地位や名声を誇っている人は、地位や名誉に心を樹てている人です。

才能、美貌、智慧や学問に心を樹てて生きている人もありましょう。

しかし、崩れるものに心を樹てていれば、常に不安が絶えず、苦しまなければなりません。

金や財を力にしている人は、金や財を失った時に転倒する。

名誉や地位を力にしている者は、それらをなくした時に失墜する。

親や子供を力にしている人は親や子を亡くした時に倒壊する。

信念を力にしている人も、信念揺らいだ時にまた崩壊します。

やがて必ず滅び去るものばかりの中に、唯一崩れぬ幸せが仏教には教えられている。それを、揺るぎない大地に例えて「弘誓の仏地」と言われ、

“崩れるものに樹てる人生は、薄氷を踏むように不安だが、心を不動の仏地に樹てて、永遠に変わらぬ幸福になりなさい。それこそ、生きる目的なのだよ〟

と、勧められているお言葉と聞きました。

今まであちこちにいろんなものを建ててきたけれど、心を不倒の仏地に樹てることが何より大事なんだと知らされたのです。
そして、こんな素晴らしい教えを、自分だけでなく、多くの人に知っていただきたいと思うようになりました。現在、93歳になりますが、聞法はもちろん、講演会の案内チラシを配り歩かずにおれなくなったのです。今日は体を休めよう……と思っても、阿弥陀さまが背中を押してくださるからでしょうか、じっとしていられず、バイクに乗って出かけています。

先日もある人から、
「どうしてそんなに元気なの?」
と聞かれました。親鸞聖人のみ教えにより、生きる意味を知らされたのですから、心にピンと張りがある。これ以上の喜びはないのです。そんな私の姿を、亡き妻もきっと喜んでいてくれていると思います。

妻を亡くしたことを縁に、生きる目的を知らされ、93歳の今なお、喜びに満ちて元気に仏法を聞き歩いている松重さんの体験でした。
伴侶を亡くした悲しみに効く、いちばんの薬は、生きる意味を知ることと言えましょう。それは、どんなことなのか。あなたも、親鸞聖人のみ教えを一緒に聞いてみられませんか。

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