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浄土真宗

浄土真宗の聖典【浄土真宗の教え】

浄土真宗ではお仏壇の前で何を読むのでしょう。分かりやすく丁寧にお話しいたします。

浄土真宗ではお仏壇の前で何を読むのか

Q 浄土真宗ではお仏壇の前で何を読むのですか?

A 浄土真宗では、朝夕お仏壇の前で勤行(おつとめ)をする習慣があります。勤行の時に読まれるのは親鸞聖人の書かれた『正信偈(しょうしんげ)』と、蓮如上人の『御文章(御文・おふみ)』です。
『正信偈』には親鸞聖人90年の教えのすべてがおさまっています。『御文章』は、親鸞聖人の教えを、ひらがなまじりで分かりやすく書かれたものです。
お仏前で『正信偈』『御文章』を拝読するということは、親鸞聖人や蓮如上人のご説法を朝夕、聞かせていただくのと同じです。

浄土真宗の聖典

浄土真宗を開かれた親鸞聖人の最も心血を注いで書かれたご著書が『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』です。この書は浄土真宗の根本聖典、または御本典(ごほんでん)ともいわれます。
教巻、行巻、信巻、証巻、真仏土(しんぶつど)巻、化身土(けしんど)巻の6巻からなる大部な著書ですが、大半が経典やその注釈書からの引用となっています。それは、ご自身の解釈(私釈)を書かれた後、それを裏付けるために、膨大な経釈から縦横無尽に根拠を引用されているためです。
ですからこの『教行信証』は、八万四千ともいわれる仏教の聖典の精粋であり、人類の至宝ともいうべきものなのです。
古来、『教行信証』は、多くの哲学者をも感嘆させてきました。二、三の例をあげれば、

「『教行信証』は思索と体験とが渾然一体をなした稀有の書である」(三木清)

「私は『教行信証』の宗教哲学を以て、西洋に匹儔(ひっちゅう)を見出すこと困難なるごとき深さをもつものと思惟せざるをえない」(田辺元)

など、枚挙にいとまがありません。

正信偈

親鸞聖人の教えのすべてといえる『教行信証』の内容を、ギュッと圧縮したのが、『教行信証』行巻の最後に出てくる『正信偈』です。これは1行7文字、120行からなる漢文の詩です。仏前で勤行をする時は、節をつけて拝読しますが、冒頭の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」というお言葉は有名なので、浄土真宗の人なら、よく知っていると思います。

御文章

次に『御文章(ごぶんしょう)』(『御文(おふみ)』)とは、浄土真宗の中興の祖・蓮如上人が門徒に宛てて書かれたお手紙を、80通選んで本にまとめたものです。手紙なので、ひらがなまじりの分かりやすい文体で、他の聖典と比べ大変短いのが特徴です。
蓮如上人は、親鸞聖人の書かれた『教行信証』を表紙が破れるほど精読され、「千の物を百に選び、百の物を十に選ばれ、十の物を一に」(天正三年記)とあるように、聖人の教えを簡潔に示すことに力を尽くされました。
勤行でよく拝読される『御文章』の中の1通「聖人一流章」は、長さは字数にして約150字ですが、こんな短いお手紙の中にも、親鸞聖人の主著『教行信証』の要点は、余すところなく収まっています。
簡潔に要約なされたのは、いかに正しい教えがあっても、難解で膨大な聖典のままでは、どこが大事か学び切れず、一般の人々に広まらないからです。
もちろんそんな要約は、親鸞聖人の教えによほど精通した人でなければできることではありません。蓮如上人が「ご再興の上人」と仰がれるゆえんもそこにあります。
ですから蓮如上人は、

難解なお聖教は、学問がなければ読み違えたり、意味の分からぬ所も出てくるだろうが、御文ならば読み違えもあるまい

聖教は読み違えもあり、心得もゆかぬ所もあり、『御文』は読み違えもあるまじき(御一代記聞書52)

と仰っています。さらに、

『御文』はこれ凡夫往生の鏡なり。『御文』の上に法門あるべきように思う人あり、大いなる誤りなり

(御一代記聞書178)

とも言われ、〈凡夫が往生するうえで、『御文』以上の教えはない〉とまで明言されているのです。

このように、浄土真宗で朝夕『正信偈』と『御文章』を仏前で拝読するのは、親鸞聖人、蓮如上人の直のご説法を、朝夕、親しく聴聞させていただくことなのです。

【まとめ】浄土真宗の聖典

  • 浄土真宗では、朝夕、お仏壇の前で親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人の『御文章(御文)』を拝読する

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