死別の悲しみから立ち直った女性の体験「息子は35歳で突然、逝った……」
兵庫県の小柳美枝子さん(78)は69歳の時、35歳の息子を突然、亡くしました。それから長い間、「早く息子のところへ行きたい」と思い続けていたそうです。しかし、今では活力あふれる生活ができるようになりました。悲しみの淵から抜け出せたきっかけは、どんなことだったのでしょうか。
「出会いの数だけ別れがある」「会うは別れの始め」と言われるように、人生には、生き別れ、死に別れ、いろいろな別れがあります。
中でも、「親がわが子を亡くす」別れほど、つらい別離はないと言われます。
インターネット上にも、悲しみの声があふれています。
「子供に先立たれ、絶望的な気持ちです。死後6年たっても、お酒を飲んで紛らわせるしかありません」
「5歳の娘を交通事故で亡くしました。この世にこれほどつらいことがあるのかと思うほど、つらいです。地獄です。毎日死にたいと思っています」
「もうあの子は生きていない、何もしてあげられないと考えてしまい、泣けてきます。能天気な自分にはもう戻れません」
子を持つ親なら、誰もが共感せずにはいられない悲しみです。
兵庫県の小柳美枝子さん(78)も9年前、35歳の息子を突然、亡くしてから、つらい日々を過ごしていました。
ところが、5年前、あるきっかけで、そんな悲しみから抜け出すことができたのです。
どんなことがあったのか。
小柳さんに語っていただきました。
小雨の朝、突然の死別
その年の台風は、非常に動きが遅く、大型の勢力を保ちながら、四国から中国地方へと縦断しようとしていました。
そんな9月3日の朝のことです。雨はまだ、小降りでした。
主人と食事をしていると、電話のコール音が鳴り響きました。
「小柳さん、大変です。孝君が会社で倒れました」
次男の会社の同僚からでした。
「えっ、孝が倒れた……?」
状況がよくのみ込めぬまま、主人と2人、祈るような気持ちで、息子の搬送先の病院へと急ぎました。
しかし、着いた時、目にしたのは、冷たくなった息子の姿だったのです。
その日、次男は、朝いちばんに出勤し、タイムカードを押したそうです。
2番目に出社した同僚が、倒れている息子を見つけた時にはすでに息がなく、救急車を呼んで、蘇生を試みたけれども、間に合わなかったとのことでした。
誰もいない時に亡くなったので、死因を調べるため、遺体は、神戸大学に司法解剖に出されました。
結果、脳に異常は見つからず、医師からは、「心臓かな」と告げられただけでした。いわゆる「突然死」だったのです。
外の風雨は、いつのまにか激しさを増し、若くして旅立たった息子の無念を象徴しているかのようでした。
あんないい子がなぜ、突然、逝ったのか……
次男は、とても心根の優しい子でした。
小学生の頃、主人が「腰が痛い」と言ったら、「どないしたら、治る?」と聞くので、「温かいところに行ったら、治るかな?」と答えました。
すると、「じゃあ、僕が大工さんになって、3人で温かいところに家を建てて住もう」と言ってくれたのです。
そのあと、数字に強くないと大工になれないと聞いて、算数が苦手だった次男は断念したのですが、そんな風に親を思いやる心をずっと持っている子供でした。
成長して、酒造メーカーに就職した後も、ボーナスが出るたびに、5万、10万と、こづかいまでくれました。
朝、私が頭が痛いと言えば、営業先からでも、「病院に行った?お医者さん、どない言うてた?」と電話を入れ、「無理したらあかんで」といつも気遣ってくれたのです。
26歳で3LDLのマンションを購入したので、一人暮らしなのに広すぎやしないか、と思っていたら、「お父さんとお母さんが歳がいったら、一緒に住むんや」と言っていたとも、息子が亡くなったあとに聞きました。
息子は、死んでどこへ行ったのか
“あんなにいい子がなぜ、こんなに早く逝ってしまったのか……”
息子が不憫で、朝夕、主人と一緒に、仏壇に向かって、お経をあげずにおれませんでした。
「息子はどこに行ったのか。早く息子に会いたい」と、そんなことばかり考えていたのです。
命日にやってきた住職に、「息子はどこへ行ったのでしょう」と尋ねると、「いい子だったというから、たぶん浄土に往かれてますわ」と言います。
「お経って、生きている人間に説かれたものじゃないんですか。生きている私たちでさえ、難しいのに、死んでから聞かせたって分からないんじゃないんですか」と問うたら、返事がありませんでした。
息子はどこへ行ったのか。
本当のことが知りたいと、死後の世界について書かれた本を数冊読みましたが、筆者が勝手なことを言っているだけで、読めば読むほど分からなくなりました。
死別の悲しみが、息子への感謝に
そんな5年前、家の郵便受けに、仏教勉強会のチラシが届いたのです。
親鸞聖人のお名前と、「死んだら、どこへ行くのか」の1文に目が釘づけになり、チラシを大切に保管して、その日を待ちました。
果たして当日、どんなところかと思いながら出掛けると、スタッフの皆さんが、笑顔で迎えてくださいました。
そこで上映されたアニメで、親鸞聖人は、お父さまを4歳で、お母さまを8歳で亡くされ、「人は死ねばどこへ行くのでしょうか」と仰って、わずか9歳で出家なされた方と知りました。
私と同じ疑問を持たれたお方と分かり、「もっと知りたい」と、重ねて参加するようになったのです。
ある時、蓮如上人の「白骨の章」についてお聞きし、
(朝、元気だった人も、夕方には変わり果てた姿になることがある)
のお言葉に、息子が亡くなった時のことを思い出しました。
次男のマンションは、家から歩いて10数分でしたので、私は週に1度訪ねて、夕食を作ったり、掃除をしたりしていました。
亡くなる前日も、「男の一人暮らしでは、好きな肉料理ばかり食べているかもしれん。栄養が偏ったらあかんわ」と思って、部屋に、筑前煮とほうれん草のお浸しなど、野菜中心の料理を準備して帰宅したのです。
そのあと、マンションに戻った息子から、電話がかかり、「お母さん、夕食、用意してくれて、ありがとう。ありがとう」と、何度もお礼を言ってくれたので、夫に、「今日はえらい、たくさん、礼言うてくれたわ」と話したほどでした。
それほど元気だった翌朝に、息子は亡くなってしまった……。
まさに「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」、朝と夕が反対なだけで、お言葉どおりだなあ……としみじみ思わずにおれなかったのです。
そうして続けてお聞きするうちに、浄土真宗は、死んだらどうなるか分からない、後生暗い心を解決して、いつ死んでも極楽参り間違いない、絶対の幸福に救われる教えと知らされ、「こんな教えが聞きたかった!」と、うれしくて、涙が止まりませんでした。
そして気がつけば、私の周りには仏教を学び、私のような者の心を分かってくださる、明るくて親切なお友達がたくさんできていたのです。
次男を失って、寂しくない、と言えば、ウソになります。
それでも今は、真実の教えをどんどんお聞きできるのがうれしくて、心にピンとハリを感じます。
「孝が導いてくれたご縁だったなあ……」と、亡くなってなお、孝行な息子に感謝しております。
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