30年連れ添った夫は、突然逝った……死別の悲しみを乗り越えた女性の体験
京都府の山中和子さん(73)は、30年以上連れ添った夫を58歳の時に突然、失いました。悲嘆の底に突き落とされた山中さんでしたが、あるきっかけで、力強く立ち直ることができました。それはどんなことなのか、山中さんに語っていただきました。
永年、連れ添った伴侶を、「空気のような存在」と表現する人がよくあります。
「いて当たり前」と感じるからかもしれません。
でも、空気が無くなったら、人は生きていけません。
同じように、「空気のように」感じていた相手を、亡くした時の喪失感は大きいものです。
愛し、愛された相手と死別する悲しみは、なおさらでしょう。
ネット上にも、悲痛な叫びがあふれています。
「何もする気になれない。仏壇の前でどんなに話しかけても、泣いても、何も感じることができない。寂しいよ。悲しいよ。会いたいよ。会いたいよ……」
「時間がたてば、少しは気持ちが落ち着くはず、と思って過ごしてきましたが、喪失感や悲しみは増す一方です。自分がどうなってしまうかすら分からなくなりました」
本当におつらいこととお察しします。
京都府の山中和子さん(73)も、30年以上連れ添った夫を58歳の時に突然、失いました。
美容師として30年、店長まで務めた、やり手の山中さんにとっても、その衝撃は、しばらく入浴すらできなくなるほどだったと言います。
しかし、あるきっかけで、死別の悲しみから立ち上がり、今ではエネルギッシュな毎日を送っています。
山中さんを悲嘆の底から救い出したものは、何だったのでしょうか。
山中さんに語っていただきました。
昨日まで元気だった夫が……!?
「今夜は、あの人の好きなすき焼きにしよう」
その日、私は富山まで遠出する予定でしたので、家に残る夫のため、早朝から、足りない野菜の配達を、近くの八百屋に頼んで、夕食の準備をしていました。
「おーい、八百屋のおばさん、来てるぞ」
いつもと同じように、出勤しようと玄関を出た主人の声が聞こえてきました。
まさか、それが私の聞く、最後の言葉になるとは、その時は思ってもみませんでした。
京都からバスに乗って2時間半、食事休憩のため、福井県のサービスエリアに入ろうとした正午過ぎ、私の携帯電話が鳴り響きました。
「奥さん、落ち着いて聞いてくださいよ」
何事かと思って、次の言葉を待つと、「ご主人が脳内出血で倒れられたんです。もう手術の施しようがありません。とにかく、すぐに帰ってきてください」
主人の勤務先の京都市役所からでした。11時45分頃、「頭が痛い」と言って風邪薬をのみ、その20分後に倒れたというのです。
無我夢中で電車に飛び乗りました。車窓の景色も目に入りません。
〝昨日はカリンの木に登って、実を取っていたほど元気だったのに……。”
ひたすら、間違いであってほしい、と念じ続けました。
病室に駆け込んで目にしたのは、静かに横たわる夫の姿でした。
すでに心臓が止まっていたのです。
娘が主人の体を揺すって、泣き叫んでいます。
「今まで迷惑かけてばかりで、これから親孝行しようと思ってたのに。ねえ、一度でいいから、『ありがとう』って言いたいから、お願い、目を開けて!」
私はただ呆然と立ち尽くしていました。あまりのことに、涙も出てきませんでした。
表彰された2週間後の訃報
主人は、本当に真面目で優しい、世話好きな人でした。
市役所に勤めて40年、職場でも信頼厚く、60歳の定年を半年後に控えた平成16年10月には、全職員の中でただ1人選ばれて、表彰を受けたほどです。
家も改装し、娘や孫に囲まれて、楽しい日々を過ごしていた最中、「退職金で、好きなことするぞ!そうだ、一緒に海外旅行に行こう」と、定年後の悠々自適の生活を夢みていました。
主人が倒れたのは、職場での受賞を喜んだ、わずか2週間後だったのです。
〝今まで私たち家族のために働いて、あんなに定年後を楽しみにしていたのに、家族も退職金も全て置いて、逝ってしまった……”
私は、夫をじっと見つめるばかりでした。
死別の悲しみに沈む日々
それ以前から私は、仏教を聞いていました。
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」
夫の急死は、蓮如上人の『白骨の御文章』のとおり。
それからは、主人の臨終の姿が脳裏に焼きついて離れず、しばらくは風呂にも入れませんでした。
ふとした瞬間、無性にさみしくなる。
娘と話していて、「ねえ、お父さん」と隣を見ても、そこには誰もいない。
ほかの夫婦を気に留めたことなどなかったのに、今は連れ添い歩く姿をじっと見つめてしまう。
ケンカしてばかりいたのに、今になって“もっと優しくすればよかった”と悔やんでいます。
夫が倒れる2、3日前にも、親との同居で意見が割れ、言い争いをしていたのです。
あまりのやりきれなさに仏法を知らねば、そのまま病気になっていたでしょう。
死別の悲しみから、立ち上がる
しかし、ある時、気づいたのです。
「主人は亡くなってしまって、もう、したいこともできない。でも、私はまだ生きている。親鸞聖人のみ教えを聞かせていただける」と。
親鸞聖人の教えは、「平生業成」といわれます。
「平生」とは、死んでからではなく、「生きている今」を指し、「業」とは、「人生の大事業」「人生の目的」のこと。
「平生業成」の「成」とは、「完成する」「達成する」ということです。
何のために生まれてきたのか、なぜ生きているのか。
つらいことが怒涛のように押し寄せても、生き続けねばならない理由は何か。
分からない人ばかりの中で、親鸞聖人は、断言されています。
「生きている時に、人生の目的が完成できるから、完成せよ」と。
誰しも、生きがいをもって生きています。
お金を貯めてワクワクしている人、かわいい子供の成長を明かりにしている人、世のために働くことを生きる喜びとしている人、健康を誇りとしている人などなど。
いずれも、生きていく時には大事なものです。
しかしそれらは、いつまでも続く幸せではありません。
退職したら旅行に出掛けようと計画していたら腰を痛めてかなわなくなったり、糖尿病で食事制限がかかり、「食べる」といういちばんの楽しみが奪われたり。
夫や妻を頼りにしていても、死に別れもあれば、生き別れもあると、前々から、教えていただいておりました。
そればかりか、いよいよ、この世を去る時には、平生、頼りにしていた全てから見放され、たった独りで旅立っていかねばなりません。
やがて必ず裏切る、そのような生きがいでは、「人間に生まれてよかった」という満足は得られません。
それに対し、親鸞聖人が「業」と仰る「人生の目的」は、何が起きても変わらぬ「絶対の幸福」のことです。
「生きてよし、死んでよし」「このための人生だったのか」と心から喜べる生命の大歓喜です。
生きている時に最も大事な人生の目的が完成し、絶対の幸福になれることを、聖人は「平生業成」の4字で表されていると、いつもいつも、聞かせていただいていたのです。
「いつまでも、悲しみに沈んでいる場合ではなかった。私は生きているのだから、親鸞聖人の〝生きている今、絶対の幸福に救われる”という平生業成のみ教えを聞かせていただける。つらい今こそ、立ち上がらなければ」と、ようやく気づいたのです。
思えば、それまで聞法できたのは、夫の支えがあってこそでした。
勧めても、なかなか仏法を聞こうとしなかった夫でしたが、「本当は一緒に聞きたいと思っているんだ」と漏らしていたことを、後で、母から聞きました。
私の話に耳を貸そうとしなかったのは、寂しさの裏返しだったのでしょう。
それでも、見守り続けてくれたことを感謝しています。
そして、最後の最後、自分が死ぬとはもう思えず、真剣に聞法しない私に、「おまえもやがて、死んでいかねばならないのだよ。生きている今を大切にしなければならないよ」と、姿で示してくれたのかもしれないと、考えられるようになっていきました。
以来、仏法優先の生活を送っています。
勉強会のチラシを配ったり、お聞きしたことを、家族はもちろん、タクシーの運転手さんや電車で隣に座った人にも話しています。
母と妹、甥も、仏法を聞くようになり、大変うれしく思いました。
「生きている今、絶対の幸福に救われる」という親鸞聖人のみ教えを、自らお聞きし、1人でも多くにお伝えする。
大きな願いに動かされて、今、毎日がとても充実しています。
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もともとパワフルだった山中さんは今、ますます力強く、輝いています。
悲しみの底に沈んでいるあなたも、山中さんを救った仏法を、一緒に聞いてみませんか。