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死別・仏事

息子は15で先に逝った…… 死別の悲しみを乗り越えた父親の体験

鳥取県の影山脩さん(76)は40歳の時、15歳の息子を白血病で失いました。それから30数年、深い悲しみを抱えて生きてきたと言われます。しかし今年の初め、あるきっかけで、喜びに満ちた人生に大転換したそうです。どんなことだったのでしょうか。

あなたにとって、大切な人は誰ですか。
「会うは別れの始め」と言われるように、どんなに大切な、仲のよい人とも、必ず別れねばならない時が訪れます。
愛する人との死別は、どんな人にとっても、つらく、悲しいものでしょう。中でも、わが子に先立たれる悲しみは、想像に余りあります。

ネット上にも、そんな嘆きの声があふれています。

「半年前に2歳の子を亡くしました。なんでなんで、と繰り返し思う日々。半年前までは元気だったのに。亡くなってからは息をするのさえ苦しいです」

「小さな子供を亡くしました。その時の光景や言葉がフラッシュバックされたり、他の子供の声や顔を見ると苦しくてたまらなくなったり、毎日のように泣いています」

本当に悲しいことです。

鳥取県の影山脩さん(76)も、15歳の息子を病で亡くしてから36年もの間、ずっと悲しみに沈んでいました。ところが、今年初め、あるきっかけで、悲しみの人生が、喜びの人生に大転換したのです。どんなことがあったのか。影山さんに語っていただきました。

風邪一つ引かなかった息子が白血病?

年子の息子たちが、大山スキー場に出掛けた日のことです。

「弘樹がスキー板、担げなくなったから、ボクが持ってきた」

小6の長男が、2人分のスキー用具を手に帰ってきました。後からきた次男の弘樹を見ると、ぐったりとしています。額に手を当てると、燃えるように熱かった。

「風邪でも引いたのかな……」と思い、近くの医院に次男を連れていきました。

すると、「息子さんは、白血病です。大病院に行ってください」と言うではありませんか。

病気がちだった長男に比べ、次男は風邪一つ引かず、テニスやサッカーなど、スポーツ好きな元気な子やった。その弘樹が白血病なんて……?にわかには信じられませんでした。

しかし、その医者の見立てに狂いなく、大学病院に行くと、即入院となりました。本人もショックだったでしょうが、根性のある子でしたから、「今にみとれよ。きっと治してみせる」と、自らを励ましていました。

それからは、入退院を繰り返す日々となりました。最初の頃は、50センチもある大きなプラモデルを根気よく、器用に組み立てて、明るくふるまっていました。しかし、薬の副作用で、徐々に顔が腫れあがり、髪の毛が抜け落ち、変わっていく息子を見るのは、つらかった……。

そして3年経った中2の春、次男は後生へと旅立ってしまったのです。全身の力が抜け、妻と一緒に泣くしかありませんでした。大工をしていたので、いつか2人の息子と一緒に工務店を経営したいと夢を抱いていましたが、その夢も、この時はかなく消えたのです。

死別の悲しみを紛らわす日々

わずか15年の生涯だった息子を通して、人は何のために生まれ、生きるのかを考えずにはおれませんでした。

知人の勧めで、2、3の宗教の話を聞いてみましたが、この心の救われる教えはありませんでした。

しかし、悲しんでばかりもいられません。仕事に打ち込んで、全てを忘れようと思いました。

朝3時に起きて田んぼへ出掛け、日中は大工、帰れば夜なべ仕事。終わればカラオケで大声を張り上げ、近所の人から、深夜にうるさいと、どなられたこともありました。でもそれ以外、悲しみを紛らわす術がなかったのです。

それから数10年が過ぎ、唯一、私を支えてくれた妻も今年1月、病気であっけなくこの世を去りました。生きる気力がなくなり、どの木の枝で首をつろうかと、考える毎日でした。

死別の悲しみが大転換

そんな私を見かねた友人が、「僕は毎月、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただいている。影山君の苦しみは必ず解決できるから、今度、うちの村の法話会へ聞きに来ないか?」と誘ってくれたのです。

どうせ他の宗教と同じだろうと思いながらも、何か心引かれ、教えてもらった会場へ参詣したのでした。

すると、黒衣の講師が汗を流しながら、お釈迦さまの説かれた「人間の実相」を、熱烈に説法されていたのです。

いわく、人間は、100パーセント、後生へ飛び込んでいかねばならない。

しかし、毎日、考えているのは、飲みたい、食いたい、楽がしたい、どうしたら儲かるか、どうしたら他人から良く見られるかなど、欲を満たすことばかり。

その間にも、刻々と寿命は縮まり、死が近づいているのに、全くそんなことは念頭になく、生きていると──。

それは、何人も否定できぬ人間の真の姿だと思わずにおれませんでした。

息子が亡くなり、妻も死んだ。残された私も例外なく、後生へ飛び込んでいかねばならないのに、わが身の死を忘れて、生きてきました。

しかし、今度は間違いなく、私の番です。いつまでも悲しみに沈んでいる場合ではなかったと、この時、初めて気づいたのです。

それからは、これほど赤裸々に人間の真の姿を喝破し、そんな者が救われる道が説かれているという仏法を、私も聞かせていただこうと、あちこち聞法に出歩くようになりました。

死別した妻子の救われる道

亡くなった妻と息子は、今となっては、どうにもならぬとあきらめていましたが、聞法を続けるうち、親鸞聖人は、「溺れている者を助けるには、まず自分が安全な所に立たねばならぬ。仏法を真剣に聴聞し、絶対の幸福に救われ、死んで浄土で仏のさとりを開いたなら、思う存分、妻子を救うことができる」と、亡くなった家族を救う道をも、説かれていることを知りました。

妻と子供を失い、真っ暗がりの人生でしたが、その闇を破る無二の妙法に出遇うことができ、私の人生は、大転換したのです。再び家族と会える日を念じ、喜びいっぱい、聞法しています。

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36年引きずってきた、影山さんの死別の悲しみを、喜びに転じた仏法を、あなたも聞いてみませんか。

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