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体験談

突きつけられた問い”なぜ生きる” 自殺者 2万人時代に提言

歯止めのかからぬ自殺の急増に、政治、教育、マスコミ関係者らは、一様に困惑を隠せない。例えばそれは、全国紙・社説の論調の切れの悪さに象徴されている。

だれ一人、解決への舵取りのできぬこの問題を、どうとらえるか。

警察庁の発表によると、令和4年の自殺者総数は、21,881人に達した。令和元年まで減少傾向だったものの、令和元年以降、3年連続増加となり、依然として主要先進7カ国のうちでは、自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)は最も高い状況が続いています。(参考:厚労省「自殺の概要」)

自殺者の内訳を見ると、年齢別では50代が4093人(前年比475人増)と最も多く、40代3665人、70代2994人と続く。動機別では、最も多いのが「健康問題」の12,774人。続いて、「家庭問題」4775人、「経済・生活問題」4697人となった。(参考:「自殺者統計」)

人生の難度海におぼれる人たちに、弥陀の願船ましますことをいかに伝えるか。令和の親鸞学徒の使命は重大である。

単線社会は折れやすい

時代の変動が大きいほど自殺者は増えるといわれる。彼らを襲った最大のものはバブル経済とその崩壊であろう。
戦後の日本で、人口あたりの自殺率が異常に高まったのは、1950年代半ばのことだった。「戦後10年」と「バブル崩壊後10年」に共通項があるように思えてならない。

戦争もバブルも、国民が単一の目標目掛けて突き進んだという意味ではよく似ている。そんな時代が壊れたあと、渦中を懸命に生きた人が落差に耐えられなくなり、自らを死に追い込むのかもしれない。

一つの価値観で生きる「単線社会」は折れやすい。一つに失敗しても、別の線路が用意されている社会。多様な価値観が共存する社会。「単線社会」を、そうした「複線社会」に変えていくしかないのではないか。

引用:『朝日新聞』 平成14年8月20日

不況がもたらした 社会の病理

不況の時ほど自殺者が多いということだ。
何よりもまず、政府も経済界も、この深刻な経済状況を一刻も早く改善するよう全力を挙げるべきだ。
仕事や生活上の強いストレスが原因でうつ病を患い、適切な治療を受けないまま死に走ってしまうケースも多い、と医療関係者は指摘している。

企業の産業医や地域の医療機関などを中心に、心の病に気づき、支援する制度を充実させなければならない。
自殺では予兆があったにもかかわらず、家族や同僚など周囲の人が気づかないことも多いといわれる。こうしたことが家族を苦しめるケースも少なくない。
自殺に追い込まれた人や残された家族の心の痛みに、深く思いをはせた対策が求められている。

引用:『読売新聞』平成14年7月26日

「世に恥ずべき 社会病理だ」

自殺者の6割強を50歳以上が占める現実は、高齢化が進むほど絶望的になる人が増えると暗示しているようだ。懸命に働いて、楽をすべき年代に入った後、明日への希望を失うのではあまりに悲しい。

自殺を個人的な事情で片付け、弱い者が選ぶ道などと考えていてはならない。社会病理ととらえ総合的な施策を講じる必要がある。
昨年度から厚生労働省が自殺防止対策に予算をつけて取り組み出したが、到底同省だけでは対応できない。
交通死が最悪となった70年、政府は交通安全対策基本法を制定し、国、地方自治体、関係諸団体を巻き込んだ対策に乗り出し、死者数を半減させた。自殺対策は交通対策以上に困難だろうが、幅広い施策を講じるには同様の取り組みが不可欠ではないか。

引用:『毎日新聞』平成14年7月26日

ジャーナリズムの現場から

ジャーナリズムの世界では、自殺急増の問題をどう見ているのか、全国紙の記者、Sさん(東京都)に聞いた。(平成19年取材)

 

「交通戦争」という言葉が生まれたのは、昭和30年代でした。当時の交通死者が年間一万人を超え、日清戦争での日本軍の死者に匹敵することから、「これはもう戦争だ」として、ある新聞記者が命名したそうです。
一方、今、問題となっている自殺者の数は年間3万人(取材当時)。マスメディアも大きな社会問題として、取り上げざるをえないのは当然です。
ところが、自殺の問題について、有効な報道がなされているかというと、首をかしげざるをえません。マスメディアは本来、さまざまな社会問題に関して、その原因にメスを入れ、改善の方向性を示すのが、大きな役割といえるでしょう。

例えば交通事故問題でも、事故の原因分析とともに、交通環境の改善や、交通教育の徹底などの対策を求める専門家の声などが次々に報じられ、事故は減少に転じました。

では、自殺の問題はどうでしょうか。

厚生労働省は昨年度初めて自殺防止対策を予算化し、今年度も約5億6000万円を計上しました。でも自殺防止対策の中身を見ると、その大きな柱となるのは、各種専門機関の相談機能を充実させようということのようです。相談機関として挙げられているのは、医療機関の精神科をはじめ、「いのちの電話」、東京自殺防止センター、産業保健推進センターなどです。

苦しくて自ら死を選択しようとしている人が求めるのは、「なぜ、生きねばならないのか」への答えのはずですが、こうした相談機関が、この問いに答えられるかどうかが問題です。

マスメディアも結局は、この問いへの明確な答えが見つからないため、行政側の動きを漠然と伝えるだけで、結論といっても、「とにかく相談を」「深刻に考えるな」とお茶を濁すしかないのが現状です。

なぜ、苦しくても生きねばならないのか、の問いに答えうる真の人生の「専門家」を待望する声はますます高まっているといえるでしょう。

自殺危機からの救出 人生の目的あればこそ

自殺者のおよそ8割は、少なくとも直前に、うつ病の状態に陥っていた、と多くの精神科医は指摘する。

うつ病自体は、本当は身体的な病気で、医学的にいえば、セロトニン、ノルアドレナリンなど脳内神経伝達物質の分泌のバランスが崩れた状態をいう。これは薬で元に戻すことができるので、自殺の危険が切迫している時は、物質的な治療法で、自殺の回避を行うという。しかし問題は、なぜバランスが崩れたか、その要因を取り除かねば、また同じ危険を繰り返す点にある。
うつ病は、長期間ストレスにさらされるとなりやすいといわれるが、ストレスの原因としては、仕事、家庭、人間関係など、複雑多岐である。それらすべてを取り除けたとしても、再び似た状況が生まれないともかぎらない。飽くまで対症療法で、根本的解決にはなっていない。

ところが、一度は自殺の危機にありながら、親鸞聖人の教えを知って、大きく立ち直った例がある。

大手企業の中間管理職をしていたT氏は、5年前、社運をかけたプロジェクトに参画し、仕事上の失敗、上司と部下との板挟みでうつ状態となり、自殺寸前まで追い詰められていた。

T氏は休養と薬で、3ヵ月後には職場復帰できるほど快復できたが、
「療養中、初めて自分の人生を見つめ直すことができた」
と、親鸞聖人のみ教えに触れ、人生が大転換したことを喜ぶ。

「今まで生きる目的を知らず、どうでもいいことに振り回されすぎたのです」

釈尊は『大無量寿経』に、
「世人薄俗にして共に不急の事を諍う」
と教えられた。

財産、名誉、出世、家庭などを獲得することと、人生の目的は、全く別次元の問題であり、人生の目的こそが、最も大切な問題なのだ。

そこに気づくと、日々心を悩ます出来事も、人生の目的を果たすうえの試練、意味ある苦しみと受け止められる。

「自分の思いどおりにならない人や物を、いたずらに憎んだり敵視して、余計私は苦しんでいました。今も苦しみはありますが、人生の目的に向かっていける身の幸を喜んでいます」。

T氏は新しい人生を踏み出した。

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