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用語集

天上天下 唯我独尊 とは 分かりやすくて詳しく分かる仏教用語集

この言葉は「この世で最も偉くて尊いのは、ただ私一人だけだ」という意と思われています。それで、うぬぼれている人を指して「あいつは唯我独尊だ」「独尊的だ」などと言います。ところが本当の意味は全く違います。

天上天下 唯我独尊 “アイツ”ではなく “私たち一人一人” が「唯我独尊」

自惚れが強く、他人の意見に否定的な人がいると、「アイツは唯我独尊的だな」などと言われます。「唯我独尊」という言葉を、「唯、我、独りが、尊い」と、文字どおり読んでのことですね。しかしこの言葉の元は、釈迦の「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんが ゆいがどくそん)」というものですから、語源は仏教にあります。その本当の意味を知れば、“アイツは” ではなく、“あなたも私も”「唯我独尊」と言えるのだと、お分かりになると思います。

「唯我独尊」とは「ただ我々人間のみが成しうる、ただ1つの尊い目的」

天上天下」とは「天の上にも、天の下にも」、大宇宙において、ということです。「唯我独尊」の「我」は、釈迦だけのことではなく、「我々人間」のことなのです。ですから「唯我」とは「ただ、我々人間だけが」ということ。「独尊」とは、たった一つの尊い目的を表しています。「天上天下 唯我独尊」とは、大宇宙広しといえども、犬や猫、牛や豚に生まれていたら果たすことのできない、唯、我々、人間のみが成しうる、たった一つの尊い目的があるということなのです。

釈迦が威張る?常識的に考えても、おかしな解釈

「唯我独尊」の「我」が、釈迦一人のことだとすれば、お釈迦様ご自身が、「世の中で、私、独りが尊い存在だ」と威張られたことになりますが、常識的に考えても、そのような意味でないことは頷けると思います。なぜなら、釈迦は、世界の歴史上、二大聖人、三大聖人といっても、トップに入るほどの方です。「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」とも歌われるように、実った徳のある人ほど、つつましく、謙虚なものではないでしょうか。釈迦は、いわば、最も実った方ですから、そんな方が、「他の人は、みんな、つまらん。自分だけが尊い」と、いわれるはずもないのです。

釈迦誕生のエピソードが示唆するもの

では、ただ人間だけが、果たすことのできる尊厳な目的とは何でしょう。それは、お釈迦様誕生時のエピソードから知ることができます。
釈迦は、お生まれになった時、東西南北に7歩ずつ歩まれて、右の手で天を、左の手で大地を指さし、「天上天下 唯我独尊」と宣言されたと伝えられています。
いくら、お釈迦様のような方でも、生まれてすぐに、歩いたり話したりすることは、考えられません。では、この話は、何を示唆しているのでしょう。

「7歩」とは、6より1多い「7」に、意味があります。
私たちの魂の歴史は、この世に生まれた時に始まったものではありません。果てしない遠い過去から、「六道」という苦しみの世界を、さまよい続けてきました。この「六道」を具体的にいいますと、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の6つです。いずれも迷いの世界です。
「7歩、歩まれた」とは、この「6つの迷いの世界(六道)から1歩出て離れる」ことを表されているのです。六道から出離して本当の幸せになる。これこそ、唯、我々人間のみが果たすことのできる、「唯我独尊」といわれる、たった一つの尊い目的です。人間の命に差別はなく、皆、平等に尊いといわれるのは、この目的が、平等に尊いからなのです。

地球より重い人命といわれる理由

人間に生まれた誰もが、人生の目的を果たした時に「天上天下 唯我独尊」と言えるのであり、一人一人が「人間に生まれてよかった」という喜びあふれる幸せに包まれます。「人間の命は地球より重い」とは、物理的な重さのことではなく、この人生の目的の重さ、尊さから、いわれることでしょう。

【まとめ】天上天下唯我独尊とは

  • 「唯我」とは「唯、我々、人間のみ」
  • 「独尊」とは「たった一つの尊い目的」
  • 「独尊」が分かれば、人命は地球より重い理由も分かる

天上天下唯我独尊について、さらに詳しく知られたい方は、コチラの記事をお読みください。

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