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死別・仏事

妻と死別した悲しみを乗り越え、歩み出せたたった一つの理由

北海道岩見沢市の鈴木喜一郎さんは、70歳のとき、突然、最愛の伴侶を失い、「何もしてやれなかった」後悔と、自責の念にさいなまれました。
妻を供養するにはどうすればよいか、方法を探し求めていたとき、浄土真宗の教えを知り、明るく前向きな人生に一変したといいます。どんなことがあったのか、聞いてみましょう。

いつもの日常から、突然の妻との死別

妻はその日、カラオケ教室で歌い終えた直後、突然、倒れました。
原因は、くも膜下出血。搬送された病院で、意識を回復することなく、10日後に亡くなったんです。

妻は米屋で生まれ育ち、会社勤めの経験もなく、ちょっと世間知らずなところもあったんですが、いつも笑顔で、みんなから好かれていました。
歌が大好きで、十八番は島倉千代子の歌。声がいいんですよ。私が定年退職してからも、妻はレッスンに通い、私も快く送り出して留守番をしていました。

カラオケ教室

その日も、朝から楽しそうに支度して、「お父さん、行ってくるね」と笑顔で手を振り、カラオケ教室に出掛けていきました。
ところが、その2時間後、自宅の電話が鳴り響きました。
「鈴木さんの奥さん、倒れられたんです!」
一瞬、何を言われたか、分かりませんでした。

異変は10日前に

その時、ハッと思い出したことがありました。
10日ほど前、妻が所属していた刑務所慰問団の婦人部の年間行事で、旭山動物園に行くことになっていたのですが、珍しく「行きたくない」と妻が言っていたことを……。

おそらく、その頃から不調を感じていたようなんですが、私は何の気なしに
「みんな行くんなら、行ってくればいいじゃないか」
と答えてしまったんです。

行事から帰宅した彼女の表情は暗く、「おもしろくなかった」とつぶやき、いつもと違う感じでした。思えば、あの時すぐ病院に連れていけばよかったんですが、気づくのが遅すぎました。

「手術は難しい」の医師の言葉に覚悟した

カラオケ教室からの電話で、
「救急車を呼びましたが、どこの病院になるか分からないので、ひとまず、ここへ来てください」
と言われました。教室まで10分もかからない距離が、とても長く感じられ、心臓はバクバク音を立てていました。

救急車

到着すると、すでに救急車で搬送されており、急いで病院へ向かいました。妻は集中治療室の中。祈るような気持ちで、処置が終わるのを待ちました。

しばらくして出てきた医師から、「手術は難しい状況です」と聞かされました。私は、「はい……」と、力なくうなだれ、あとは妻のそばにいることしかできませんでした。
その後、妻は意識が戻ることなく、10日後に亡くなったんです。

何が妻の供養になるのか、そればかりを考えるようになった

あの朝、「お父さん、行ってくるね」と会話したのが最後でした。あんなに元気に出かけていったのに、こんな急に別れがやってくるとは……。

50年近く一緒にいたんです。いるのが当たり前だった妻が、突然いなくなって、もう何が何やら分かりませんでした。
そして出てくるのは「妻に何もしてやれなかった」という後悔ばかり。

やがて、「妻のために何かできることはないか。どうすれば、少しでも妻の供養になるんだろうか」と、そればかりを考えるようになっていました。
そして、お仏壇の前で、『正信偈(しょうしんげ)』という本を欠かさず読むようになりました。

正信偈を拝読

人が亡くなると、お仏壇に向かってお経を読むイメージが何となくあって、せめて妻の供養になれば、という思いから、昔、祖母が毎日読んでいた『正信偈』を読むようになったんです。もうそれしかなかったと言っても、言い過ぎではありません。

『正信偈』の意味が知りたくて

そうして、毎朝、漢字ばかりで書かれてある『正信偈』を「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)……」と読むうちに、
「ここには何が書かれているんだろう?」
「意味が分からないまま読んでいても、妻の供養にならないのではないか?」
と思うようになりました。

知り合いのお寺の住職さんに聞いても、よく分からず、何とか分からないものかと模索していた時、自宅の郵便受けに、仏教講座の案内チラシが届いたんです。そこに載っていた「釈迦」「親鸞」という言葉に惹かれて、岩見沢市内の会場に足を運びました。

衝撃!仏教は生きている人のための教えだった!

仏教の講座といったら、葬儀や墓のこと、供養の方法などを教えてくれるのものと思っていましたが、話を聞いてみたところ、全く違っていて驚きました。

仏教とは、お釈迦様の説かれた教えで、経典には、人は何のために生まれてきたのか、なぜ苦しくても生きねばならないのか、その答えが教えられていることを知って、仏教へのイメージがガラリと変わりました。

「亡くなった人のため」と思っていた仏教は、実は「生きている人のため」にあることが分かって、一つ一つの話がすごく新鮮で、衝撃でした。
携帯もパソコンもテレビも車もなかった2600年も昔、インドで説かれた仏教が、現代の私が聞いても「なるほど、なるほど」と、うなづくことばかり。

生きる力を取り戻すことができた

今でも、妻を失った寂しさはあります。
しかし、いちばん知りたかった妻の供養の方法を、親鸞聖人の教えによって知ることができたので、気持ちは大きく変わりました。

お経を読んだり、法事をすることが妻の供養になると思っていたのは、大変な誤解でした。
親鸞聖人は、生きている今、私自身が、阿弥陀仏の本願に救い摂られ、絶対の幸福になることが最も大事だと教えられていることを知りました。
そして、それこそ何よりの妻の供養だと知って、とにかく嬉しかったんです。
生きる希望を失いかけていた私が、再び、生きる力を取り戻すことができたのも、親鸞聖人の教えを聞かせていただいたおかげです。

鈴木喜一郎さん

大切な家族と死別し、これから先、どう生きるかに悩んでいる方がいらっしゃれば、私と同じです。一度、浄土真宗の教えを聞いていただきたいです。
自分の幸せも、故人の幸せも、どうすれば叶えられるのか、その答えを知る大きなきっかけになるに違いありません。

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