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葬儀でよく故人を「仏さま」と表現されますが、適切でしょうか?

日本のお葬式では、よく亡くなった人を「仏さま」と呼ばれますが、故人を「仏さま」と呼ぶのは適切なのでしょうか。今回は、このテーマについて深掘りしてみたいと思います。

日本のお葬式では、よく亡くなった人を「仏さま」と呼ばれます。

たぶん葬儀社の司会マニュアルにもそう書かれているのでしょう。また、東北出身の知人から、
「納棺師が、仏さまを棺に入れて、葬式のあと火葬場で『この仏さまは骨格がしっかりしとる』と言いながらお骨を拾い、のどぼとけが見つかると『仏さまが出たぞー』と叫ぶんや」
という話も聞いたことがあります。
さすがに「のどぼとけ」を「仏さま」と言うのは違うのでは?と思いましたが、亡くなった人を「仏さま」と呼ぶのは適当なのでしょうか。今回は、このテーマについて深掘りしてみたいと思います。

目次

  1. そもそも仏(ほとけ)とは?
  2. なぜ、葬儀で故人を「仏さま」と表現するのか?
  3. 仏教の究極の目的は「仏になること」
  4. 「死んだら仏」はウソではないが、ホントではない
  5. 浄土真宗は、この世と死後の2度救われる教え
  6. 故人はどう呼ぶのがふさわしいのか?
  7. まとめ

1.そもそも仏(ほとけ)とは?

元来「仏」とは「死んだ人」を指す言葉ではなく「仏」という「さとり」の名前です。

仏とは最高のさとりの名前

ひとくちに「さとり」といっても、仏教では、52の段階があると説かれています。これを「さとりの52位」といい、1段目から52段目まで、それぞれの位に名前がついています。
ちょうど「力士」といっても、「番付1枚違えば、家来同然」という言葉もあるように、下は序の口から上は関脇、大関、横綱など、いろいろな段階(位)がありますよね。
そのように「さとり」にも、全部で52の段階がある中で、「最高のさとりの位」を「仏覚(仏のさとり)」といわれるのです。

さとりを開くとはどんなこと?

「さとりを開く」とは、どんなことか、山登りに例えてイメージしてみましょう。
登り始めは、あまり変化を感じないでしょうが、1合目、2合目と高度が上がるにつれて、見下ろす景色は広がっていきます。地上にいた時には見えなかった美しい桜並木や流れる川、町の様子など、登れば登るほど見えてきます。そして最後、頂上まで登り詰めた時に、360度、あたり一面を見渡せるようになります。
ちょうどそのように、高いさとりを開くほど「真理」は明らかとなり、最高のさとりの位である「仏覚(仏のさとり)」まで到達すれば、大宇宙の真理すべてを体得できるということです。
この「仏覚」まで到達された方だけを「仏」とか「仏さま」といわれます。

さとりを開くのはいかに難しいか

ちなみに、このさとりは1段違えば人間と虫けらほど境界の差があるといわれます。ハエやゴキブリに、パソコンの使い方を教える気になれるでしょうか。電源の入れ方1つマスターするのに何年かかることか。いや、何十年かけても無理でしょう。人間とそれらのものとでは、生きている知恵の世界が全く違うからです。

たった1段でもそれほど違うのですから、10段、20段と修行によってさとりを開いていくことは、いかに難しいか。

一例を挙げれば、選挙に必ず登場するダルマさん。あのモデルとなった達磨という人は、インドに生まれ、晩年中国へ渡り、禅宗の祖となりました。面壁9年といって、壁に向かって9年間、座禅に打ち込み、手足が腐って切断したといわれています。だからダルマさんには手足がない、あんな姿をしているのですね。両目はギロッとにらんでいますが、怖い感じがしないのは、こちらをにらんでいる目ではなく、自己の心を凝視しているからです。
しかし、そんな手足腐るほど厳しい修行をした達磨でも、30段ぐらいまでしかさとれなかった、といわれています。

また中国天台宗を開いた天台という人は、
「師は、いずれの位までさとられたのか」
と臨終に弟子に問われて、
「ただ五品弟子位(10段目より下位)あるのみ」
と告白しています。
一宗一派を開いたほどの人でも、10段に至らなかったのです。ましてや52段目の仏のさとりに達するのは、いかに大変なことか、想像に難くないでしょう。

地球上で仏のさとりまで到達された方はただ一人

今日まで、地球上で仏のさとりを開かれた方は、お釈迦さまただお一人です。
これを「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。
約2600年前、インドに現れられたお釈迦さまが、35歳12月8日に仏のさとりを開かれてから、80歳2月15日にお亡くなりになるまでの45年間、仏として説いていかれた教えを今日、仏教といわれるのですね。

2.なぜ、葬儀で故人を「仏さま」と表現するのか?

仏の本来の意味を知れば、亡くなった人を仏さまというのは、おかしいと感じられるでしょう。
「仏=死人」となると、「仏教」は「死んだ人の説いた教え」になってしまいます。死んだ人が教えを説けるはずもなく、ちょっと考えれば、何かヘンだなと感じますよね。

では、なぜ故人を「仏さま」と表現するようになったのでしょうか。

その背景をたどっていくと、「仏教とはどんな教えか」「人は死ねばどこへ行くのか」という問題に触れざるをえません。

3.仏教の究極の目的は「仏になること」

先ほど、仏教は「仏(お釈迦さま)の説かれた教え」と言いましたが、もう一つ読み方があります。それは「仏になる教え」です。

仏のさとりを開かれて本当の幸せを体得されたお釈迦さまは、そのさとりに至る道を私たちに説き示されました。ですから仏教の究極の目的は「仏になること」にほかなりません。

キリスト教では人間は神にはなれないが、仏教では人間は仏になれるといわれるのも、仏教の究極の目的は、私たち一人一人が「仏になること」だからです。

実際、古来から多くの僧が仏道修行に励んできたのも、仏のさとりを求めてのことでした。そのように仏のさとりを求めている人を「菩薩」と呼ばれます。
「菩薩」聞くと、石の地蔵や人間離れした存在をイメージしがちですが、本当はそうではなく、「真実の幸福(ボダイ)を求める人(サッタ)」を略して「ボサツ(菩薩)」と仏教では言われます。さとりの52位でいえば、51段目まではみな菩薩です。

4.「死んだら仏」はウソではないが、ホントではない

さて、仏教の究極の目的は仏になることだと確認しましたが、どうすれば、私たちは仏になれるのでしょうか。その答えは「阿弥陀仏の本願」にあります。

阿弥陀仏の本願とは、あらゆる仏の先生の「阿弥陀仏」がなされているお約束のこと。その内容は「どんな人も、一念で絶対の幸福に救い摂り、必ず浄土へ生まれさせる」という、とてつもないお約束です。

このお約束どおり、絶対の幸福に救い摂られた人は、死ねば必ず極楽浄土へ往き、仏になることができる、というのが親鸞聖人の教え、浄土真宗です。

ゆえに親鸞聖人は、この阿弥陀仏の本願を「往生極楽の道」とも言われています。浄土真宗とは、まさに浄土へ往生し、仏になる道を教えられた教えなのです。

そこで、阿弥陀仏の本願に救われた人が「死んだら仏になる」というのは、ウソではありません。そんなところから、死んだ人を、仏と呼ぶ言い方が出てきたのかもしれません。

しかし「死んだら仏」はウソではないが、ホントではありません。その理由は、誰でも死んだら極楽へ往って仏になれるわけではない、からです。

5.浄土真宗は、この世と死後の2度救われる教え

親鸞聖人は、このように教えられています。

真実信心うる人は
すなわち定聚(じょうじゅ)の数に入る
不退の位に入りぬれば
かならず滅度(仏のさとり)にいたらしむ

阿弥陀仏の本願に救われた(真実信心うる)人は「定聚の数に入る」と言われています。
「定聚」とは「正定聚(しょうじょうじゅ)」ともいい、さとりの52位でいえば、下から数えて51段目、あと1段で仏という位です。
その身になれば、二度と退転する(崩れる)ことはありませんから「正定聚不退転」といわれます。まさに「不退の位」であり、「絶対の幸福」といっていいでしょう。

そしてこの「正定聚不退転」の身になった人は、「かならず滅度(仏のさとり)にいたらしむ」。死ぬと同時に弥陀の浄土に往生し、仏のさとり(滅度)を開かせていただけるのだよと、教えられています。

ここで親鸞聖人は、この世と死後、2度の救いを説かれていることにお気づきでしょうか。

この世は、「正定聚不退転」の「絶対の幸福」。
死後は、「弥陀の浄土に往って仏のさとりを開く」。

浄土真宗の教えは「この世はどうにもならない。死んだら極楽、死んだらお助け」ではなく、この世と死後、2度の救いを明らかにされているのが、親鸞聖人の浄土真宗です。

この世で正定聚に救われるのは「一念」です。一念とは、1秒よりも短い時間の極まりのこと。聞く一念の瞬間に、阿弥陀仏は、そのままの姿で正定聚の身にしてくださるのです。

これを蓮如上人(れんにょしょうにん)は、

その位を「一念発起・入正定之聚(いちねんぽっき・にゅうしょうじょうしじゅ)」とも釈し(聖人一流の章)

「一念で、正定聚に入る」と教えられています。

達磨や天台が大変な修行をしながら、なかなか高いさとりが得られなかったのと比べると、弥陀の本願は、まさに仏のさとりを開く最短の道であることがお分かりになるでしょう。

しかし、この世で正定聚(絶対の幸福)にならなければ、死後の浄土往生はかないません。「死んで仏になれるかどうかは、平生の一念に阿弥陀仏の本願に救われるかどうかで決まるから、早く「仏になれる身」(正定聚)にならせていただきましょうね」と、2度の救いを明らかにされ、現在の救いを急ぎなさいよ、と勧められているのが親鸞聖人なのです。

6.故人はどう呼ぶのがふさわしいのか?

では、亡くなった人はどう呼ぶのがふさわしいの?と思われるかもしれませんが、「故人」「故○○様」「亡き○○さん」など、いろいろな言い方がありますので、場面に応じて言葉を選ばれればよいと思います。

7.まとめ

  • 仏とは最高のさとりの名前であり、死人のことではありません。
  • 仏教の究極の目的は、仏になることです。
  • しかし、誰でも死ねば仏になれるのではありません。
  • この世で阿弥陀仏の本願に救われた人だけが、死んで仏になれると親鸞聖人は教えられています。
  • 亡くなった方は「故人」「故○○様」「亡き○○さん」等の呼び方がよいでしょう。

今回は、故人を「仏さま」と呼ぶのは適当なのか、浄土真宗の教えから掘り下げてみました。参考になれば幸いです。

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