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「南無阿弥陀仏」とは何か(3)【浄土真宗の教え】南無阿弥陀仏という大悲の願船(動画つき)

南無阿弥陀仏(難思の弘誓)は、「難度の海」を明るく楽しく渡しきる大きな船だと教えられています。
どういうことなのか、順番にお話ししていきましょう。

浄土真宗の教えシリーズ
動画を視聴したい方は、以下をごらんください。

●南無阿弥陀仏について4分で分かる動画

南無阿弥陀仏は 苦しい人生の波を渡してくだされる大きな船

南無阿弥陀仏について、シリーズで話をしています。今回が3回目です。
まだ1回目、2回目をお読みでない場合、順番にお読みください。

親鸞聖人は、南無阿弥陀仏を、「難思の弘誓(なんしのぐぜい)」と言われ、主著である『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の最初に、次のように書かれています。

「難思の弘誓は、難度の海を、度する大船」(教行信証)
(なんしのぐぜいは なんどのうみを どするたいせん)

南無阿弥陀仏(難思の弘誓)は、「難度の海」を明るく楽しく渡しきる大きな船だと教えられているのです。

これはどういうことか、順番にお話ししていきましょう。

南無阿弥陀仏の大船が渡す「難度の海」とは

ここに「難度の海」といわれているのは、私たちの人生のことです。ここで、人生を海に例えられています。
「難度」とは、渡ることが難しい、ということです。災難、苦難、困難と、「難」続きで、渡りにくいところが人生といえましょう。
苦しみ、悩 み、不安、心配の波が次から次へとやってきますので、人生の波を苦しみの波に例えて教えられています。

仕事の悩み、老いの不安、病気の苦しみ、人間関係のわずらわしさ、借金の苦しみ、地震台風津波など、天災、人災入り乱れ、次々と波がくる。
一つの苦しみを解決して、やれやれ、と思うのもつかの間、また別の苦しみがやってきます。

泳ぎ疲れた私たちは、近くの浮いた物に、すがらずにはおれません。大小さまざまな丸太や板切れが浮いています。
しかし、ようやく小さな板切れに泳ぎついて、ホッと一息つく間もなく、思わぬ方からの波をかぶり、せっかくの板切れに見放され、塩水のんで苦しみます。

ああ、あれは、板切れが小さかったからだと思い直し、もっと大きな丸太ん棒を求めて泳ぐ。
やっと大きな丸太ん棒につかまって、いい気分に浮かれていると、さらに大きな波に襲われ、また塩水のんでもがき苦しむ。
もっともっと大きな丸太ん棒なら、こんなことにならなかったのにと、死ぬまで、夢のまた夢に取りつかれ、苦しみの難度の海は果てしがないのです。

私たちがすがる「丸太ん棒」や「板切れ」とは

ここで、「丸太ん棒」や「板切れ」とは、何を例えられているでしょうか?
私たちが、たよりにし、あて力にし、生き甲斐にしているものすべてを例えています。

あなたは、どんなものを生き甲斐にし、力にして生きておられますでしょうか?
健康第一で、健康を大事にしたり、明日も生きておれる、と命を信じて生きています。今年はこうして、来年はああして、と思っているのは、無意識ながら、まだまだ生きておれると命を強く信じているからです。夫は妻を信じ、妻は夫を信じて生きています。親は子供をたよりにし、子供は親をたよりにして生きています。

金や財産をあて力にして生きています。おれは社長だ、ノーベル賞をとったと、地位や名誉を信じて生きている人もあります。

人生の悲しい現実

ところが、親鸞聖人や蓮如上人は、驚くことに、そんな妻や子供や金や財産などは、みんな大海に浮いている、板切れや丸太ん棒だと言われています。
親鸞聖人は、あの有名な『歎異抄』の中で、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなし」と断言されています。よろずのこと、とは、これらすべてです。みなもって、も同じです。
それらは悲しいことに、そらごとです、たわごとなんですよ、信じきっていると、ひっくり返って裏切られ、泣かねばなりませんよ、と言われているのです。

なぜ、親鸞聖人や蓮如上人は、家族やお金を、丸太ん棒や板切れとおっしゃったのでしょうか。
それは、夫や妻を頼りにしていても、死に別れもあれば、生き別れもあります。
生き甲斐に育てた子供も、大きくなれば、なかなか親の思い通りにはならないものです。
大事な人が、突然、病気や災害で亡くなり、苦しんでいる人もあります。

辛く悲しいことですが、いよいよ死んでゆく時は、板切れや丸太ん棒から引き離されるように、私たちは、平生、頼りにしていたものから、すべて見放され、塩水のんで苦しまなければなりません。

私たちは、信じていたものを失ったとき、苦しみ悲しみます。
しかも、皮肉なことに、信じ方が強ければ強いほど、失う苦しみもまた強くなるものです。
そして、すべてのものが無常ですから、私たちの人生は、苦から苦の綱渡りになってしまいます。

南無阿弥陀仏は阿弥陀如来によって完成した「大悲の願船」

だからこそ、阿弥陀如来は、難度の海で苦しみ続けているすべての人を捨ててはおけない、助けずにはおかないと憐れに思われ、「われ、ひとり助けん」と気の遠くなるような永いあいだ全身全霊、ご修行に打ち込まれたのです。そして、完成なされたのが、南無阿弥陀仏(難思の弘誓)の大船なのです。

阿弥陀如来の大慈悲の願いによって造られた船ですから、「大悲の願船(だいひのがんせん)」ともいわれます。

南無阿弥陀仏の船に一日も早く乗って、この世から大安心・大満足の本当の幸せになっていただきたい

これが終生変わらぬ、親鸞聖人・蓮如上人の願いだったのです。

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